たかが数字、されど数字。スポーツ選手が背負う背番号は、時に選手の代名詞として語られるなどアスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。

 プロ野球もその例に漏れず、代表的なところでは背番号『18』は主にそのチームのエースピッチャーが付ける番号として認識されている。昨季、70周年を迎えたカープでも背番号を見ただけで、すぐに顔が思い浮かぶ選手も多数存在する。ここではファンの脳裏に深く刻まれた背番号を中心に、時代を彩った名選手の足跡を振り返ってみたい。

◆球団創設時は高校野球と同じく捕手の番号として認識

 近年のファンにとって今回取り上げる背番号『2』は、俊足の内野手、リードオフマンのイメージが強いと思われる。ところが球団創設時は高校野球と同じく捕手の番号としてあてがわれ、野手が付け始めたのは1958年から。現在ではカープに限らず、将来を嘱望される俊足巧打の内野手が背負うというイメージが強くなっている。

 カープで内野手、俊足、リードオフマンのイメージを印象付けたのは髙橋慶彦だ。古葉竹識監督の指示でスイッチヒッターに挑戦した髙橋は、猛練習のすえにレギュラーに定着。俊足巧打の1番ショートとして昭和黄金期の立役者となった。

 盗塁王3回(1979年、1980年、1985年)、当時表彰がなかったとはいえ1980年にはリーグトップの安打数(169)を記録し、山本浩二、衣笠祥雄らと共に古葉野球を体現した。1990年にロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に移籍するまで、カープの中心選手として名を馳せた。

 

 髙橋の活躍でリードオフマン的なイメージがついた背番号2だが、面白いことにこの番号を継いだのは球団史上最高(当時)の契約金、年俸で入団した“捕手”の瀬戸輝信。西山秀二とのポジション争いに敗れたこともあり5年で『28』に変更となったが、今となっては捕手が背負った逆にレアな5年間となった。

 

 4年の空白を経て背番号2を引き継いだのが、現在カープの二軍打撃コーチを務める東出輝裕だ。敦賀気比高からドラフト1位指名を受けて入団した東出は、高卒新人ながら1年目から78試合に出場し、53安打、7打点、8盗塁をマーク。以降、ルーキーイヤーに一軍昇格を果たした野手が鈴木誠也、坂倉将吾、小園海斗の3選手だけという事実が、チームの低迷期とはいえ東出の非凡な才能を表している。

 そして現在、背番号2を背負っているのが選手会長の田中広輔だ。入団時につけた背番号63も、丸佳浩、田中、西川龍馬と続く出世番号だが、やはりリードオフマンのイメージが強い田中には背番号2がよく似合う。ここ2年は思うような成績を残せていないが、今季こそは『2』のイメージ通りの活躍を期待したい。

現在、背番号2を現在引き継いでいる田中広輔選手。2020年から選手会長を務めている。

【背番号『2』を背負った主なカープ選手】
宮川(村上)孝雄(外野手/1960-1974年)
苑田聡彦(内野手/1975-1977年)
髙橋慶彦(内野手/1978-1989年)
瀬戸輝信(捕手/1991-1995年)
東出輝裕(内野手/2000-2015年)
田中広輔(内野手/2016年-)