カープファンなら誰しもが見たことがあると思われる『カープ坊や』。ここでは『スラィリー』などとは違い、あくまでも球団のマークという位置付けで人気を博している『カープ坊や』の歴史を箸休め的に紹介する。
(参考文献:『広島アスリートマガジン』2004年3月号)

現在では、さまざまなジャンルとのコラボ商品も当たり前。写真は新日本プロレスの内藤哲也選手とのコラボTシャツ。

<誕生>
 永遠の少年であるカープ坊やも、今年で46歳を迎える。カープがセ・リーグ初優勝を果たした1975年(昭和50年)にカープ坊やは生まれた。

 12球団の中でいち早く球団専用トラックを導入する際に、そのトラックに描くデザインを検討したのがきっかけ。原作者はデザイナーの岡崎福雄さんだ。案では「カープ」という球団名の語源でもある鯉をモチーフにしたものが多かった。

 しかし、「子どもたちに夢を与えるものに」という思いを込め、勇ましい男の子のデザインが採用された。カープ坊やが完成し、初登場したのは同年6月21日。広島市民球場で行われた阪神戦で、先着5000人にマーク入り紙製帽子が無料で配られた。

 このシーズンの初めには低迷脱出の切り札として招聘したジョー・ルーツ氏を監督に昇格させ、着用する帽子も紺から赤へと一新させていた。カープ坊やも、そのチームの変革を担った存在として、現在もファンの間で語り継がれている。

<進化>
 今では打ったり投げたりと様々なポーズで私たちを楽しませてくれるカープ坊や。しかし、デビュー当時は現在でもお馴染みのバットを持って構えたペットマークしか存在しなかった。動きが付き始めたのは平成元年頃。その後は紙などの平面のみならず、カープ坊や貯金箱のように立体化されたものも誕生している。

 ちなみにカープ坊やが着ているユニホームは、チームのユニホームのデザインが変わるたびに一緒にリニューアルされている。微妙な変化にもぜひ注目したい。