背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

プロ4年目のケムナ誠投手。今季はここまで11試合に登板。

 背番号「29」の歴史は1950年に外野手の三好功一から始まり、以後は野手も数人使用したものの、ほとんどを投手が占めてきた。1974年以降は現在までずっと投手の番号となっている。

 1976年、ドラフト4位で入団した小林誠二も、投手として「29」を背負った一人だ。地元・広島に生まれ、広島県立広島工業高でセンバツに出場すると、カープから指名を受けて入団。同期の北別府学よりも早く一軍に昇格したが、肩の負傷もあって満足な活躍はできず、1978年シーズンを限りに西武に移籍した。

 が、ここで終わりではない。小林は西武では中継ぎ・抑えとして起用され、新たにパームボールも習得して活躍。3年間プレーした後、1984年にカープに復帰し、再び「29」を着けた。復帰初年の1984年には抑えの切り札として55試合に登板、11勝9セーブという成績を挙げ、防御率2.20で最優秀防御率のタイトルも獲得。優勝がかかった一戦では先発して完投勝利を果たし、胴上げ投手に。

 続く日本シリーズでも勝利を挙げ、西武時代と合わせて両リーグでシリーズ勝利投手という日本初の快挙も達成した。だが皮肉にも、小林を救ったパームボールが彼の選手生命を縮めることとなり、以後は成績が下降。1988年限りで現役を引退した。

 小林の引退後、1989年から「29」を引き継いだのはドラフト4位入団の近藤芳久。秋田・能代商業高から東芝で活躍してカープに入団した近藤は、ルーキーイヤーから一軍に登録され、4試合に登板。3年目の1991年にプロ初勝利を果たすと、1993年にはリーグ最多の60試合に登板。翌1994年には先発でも起用されて11勝。1996年にロッテへ移籍した。