背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

1998年〜2016年まで背番号「40」を背負ってプレーした倉義和氏(カープ一軍バッテリーコーチ)。

 当コーナーでも何度か「捕手の番号」について触れてきたが、今回取り上げる背番号「40」は、1962年以降、例外は2人で4年のみという、まさに「捕手の番号」である。

 その「例外」の一人というのが、ドラフト3位指名で1975年に入団した高橋慶彦だ。北海道生まれで東京育ちの高橋は、城西高で甲子園に出場。卓越した走塁センスを見込まれプロの道をつかんだ。高校時代はエースで四番だったが、プロ入り後は野手として打撃に専念することとなり、フォーム改良の特訓を積みスイッチヒッターに。この努力がみのり、徐々に出場機会を増やすと、背番号を「2」に変更した1978年からはレギュラーに定着。一番打者に定着した。

 その後の活躍はよく知られている通りで、盗塁王を3回、ベストナインを5回、日本シリーズMVPを1回獲得。また、1試合で4盗塁成功を2回、8試合連続盗塁、日本シリーズにおいては3試合連続盗塁、打撃においても33試合連続安打など、数々の偉大な記録を残した。特に1983年と1985年には「20本塁打以上&70盗塁以上」を達成。打撃・走塁の双方に長けた高橋の持ち味をあらわす記録として語り継がれている。