『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

2002年から2007年までの間に公式戦171試合連続フル出場を記録した服部公太。

 今連載で何度か書いているように、Jリーグは創設1年目の1993年から1996年までは、1試合の登録メンバー16人が1番から16番までの背番号をつけていた。そこから各選手が任意の番号をつける『固定背番号制』に移行した1997年、サンフレッチェで初めて背番号17をつけたのが、DF路木龍次だ。

 Jリーグ開幕前年の1992年、国見高(長崎)から加入。豊富な運動量や左足から繰り出すクロスを武器に少しずつ出場機会を増やし、1994年にはJリーグ優勝を懸けたチャンピオンシップで2試合とも先発出場している。

 1996年には日本サッカー史に残る一戦で活躍した。アトランタ五輪に臨むU-23日本代表に選出され、グループステージ初戦で優勝候補筆頭のブラジルと対戦。0対0で迎えた72分、相手の唯一の弱点とされたGKとDFの間に路木が早いタイミングでクロスを送ると、相手の連係ミスを誘って先制点が生まれた。

 シュート数3対29という劣勢をしのぎ、1対0で勝利を収めた一戦は、開催地の名前から『マイアミの奇跡』と呼ばれる。日本は結局、グループステージ敗退となったが、路木は全3試合にフル出場。奇しくも、このときつけていた背番号が17番だった。