歓喜の初優勝から、はや45年。カープの第一次黄金期をつくり上げた名将・古葉竹識元監督の目には、2000年代の低迷期はどう映っていたのだろうか。近鉄とオリックスの合併構想に端を発する球界再編問題が持ち上がった翌年。当時、マスターズリーグ札幌アンビシャスの指揮を執っていた古葉元監督のインタビューを再録する。
(広島アスリートマガジン2005年2月号掲載)

 

 31年間のプロ野球生活において、カープには監督時代を含め24年間お世話になりました。若い人は知らないでしょうけど、当時の南海(ホークス)にも4年間、選手として在籍していたんです。だから僕はセントラルのことも、パシフィックのことも、ある程度わかっているつもりです。

 パシフィックはずいぶん前から巨額の赤字を抱えていました。昨年のような(球界再編の)流れになったのは、ある意味で仕方のないことでしょう。近鉄(バファローズ)という歴史ある球団が「もうダメだ」と言いだした。そのときに「1リーグ制への流れは加速していくのかな」という気がしました。でも、その流れをくい止めてくれたのは、やっぱりファンの方たち。古田(敦也)会長を中心にした選手会が「2リーグ制の維持」を訴えて、それがファンに支持された。結果的に12球団が維持されて、本当に良かったと思います。

 そんななか球団と選手、双方に考えてほしいのは、いかにファンの方に足を運んでもらうかということ。私が監督を務めていた昭和50年代、球場は連日満員でした。球場全体に「おらが球団、おらが選手」という雰囲気があって、スタンドとグラウンドが一体になって野球ができました。当時はスタンドを見るのが楽しみでしたよ。

 やっぱり、ファンあっての野球。南海に行ったときに正直思いましたから。スタンドをみて「寂しいな」と(笑)。私たちはプロですから良い野球をして、ファンの方たちに感動してもらう。そういう野球をグラウンドの上でやるかどうかです。