お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していく。それでは今回もタイムマシンに乗った気分で、“海を越えてカープにやってきた外国人選手”を振り返っていきましょう。

ラロッカの代名詞となったある日本記録とは・・

とてつもないパワー。シュアなバッティング。デッドボールの神。ケガ&ケガそしてケガ……。 

このヒントだけで大体のカープファンはラロッカを思い出すことでしょう。 いまだに我々の心に「頼もしい助っ人」として残るグレッグ・ラロッカ。

ラロッカがカープに来たのは2004年。前田選手、緒方選手、野村選手といった選手が万全な体調ではない状況で、苦しい戦いを繰り広げていた大変な時代でしたね。投手陣は黒田投手が奮闘するも、大体の試合で投手陣がしこたま打ち込まれていた思い出ばかりが残っています。そんななか2700万円という、とてもお値打ち価格でカープに来てくれたラロッカ。

ジョン・ベイルとの入団会見では打率3割ホームラン15本を目指したいと、謙虚な目標を掲げていました。前年のハーストという超闇助っ人のトラウマがあったせいか、この時はまだ何の期待もしていないファンばかり。しかしキャンプが始まると、コツコツと休日返上で真面目に練習をするラロッカ。さらに「自分は体も大きくなく、才能もあまり無いので人の2倍練習しないといけない」という全国の道徳の教科書に載せなくてはいけないような素晴らしいコメントまでも。オープン戦でもしっかりと結果を出し、すぐに不動のレギュラーとなったのでした。

前年からチームで活躍するシーツ(後に阪神)と共に二遊間を守るという、新たな布陣はカープファンを興奮させました。ラロッカ・シーツ(翌年から阪神)という3、4番も攻撃的でワクワクしました。前田・嶋・緒方選手に超強力助っ人を加え、ビッグレッドマシンを彷彿とさせる分厚い打線になりました。神宮球場で放った前田・ラロッカのダブル満塁ホームランは石碑に刻んで永遠に語り継がれるべきだと思っています。歴代助っ人で一位のシーズン40本塁打はあのエルドレッドでさえなしえなかった記録です。大事なところで打ちしっかりと出塁もする、本当に頼りになる存在でした。

そんなラロッカの代名詞といえば「デッドボール」。いまだに破られていないシーズン28デッドボールは日本記録でもあります(シーズン記録9位に三村敏之さんがいたことに驚きました)。

実はラロッカさんの奥様とFacebookでたまにやりとりさせていただくのですが、いまだに「夫のデッドボール記録は残っているのか?」と聞かれたことがあります。ご家族としてもこの記録は誇りなのでしょうね。