カープの4番・鈴木誠也が開幕から絶好調だ。今シーズンは開幕から快音を響かせ、7月6日現在、13試合を終えてリーグ2位の打率.400、リーグ単独トップの6本塁打、打点はリーグ4位の13打点と好スタートを切り、カープ打線を牽引している。

 今や、日本の4番打者へと成長を遂げた鈴木だが、7年前のルーキー当時、誰が今の鈴木の姿を予想していただろうか。改めて、鈴木がルーキー当時に残した決意を振り返ってみる。

開幕から好調な打撃でカープ打線を引っ張る鈴木誠也選手

 鈴木は少年時代から知る人ぞ知る選手だった。小学校低学年のとき地元・東京の荒川リトルで野球人生をスタートさせると、中学時代はエース兼4番として荒川シニアを全国大会に導いた。小学生時代から通常の練習だけではなく夜練習も行うなど、当時から現在を思わせるストイックさを漂わせていた。

「父親がショートが好きだったので最初はショートで、小学生時代はずっとショートを守っていましたが、高学年になってからはピッチャーもやっていました。ショートを守っていたので、好きな選手は当時巨人の二岡智宏選手でした。中学時代はファーストとピッチャーですね」

 その後、鈴木は『強豪校を倒しての甲子園出場』を目指して二松学舎大付高に進学。1年時からレギュラーとして試合に出場し、秋からはエースナンバー1を背負い本格的に投手として頭角を表すこととなった。

「当初は怖いもの知らずで『投げてもバットに当てられる気がしない』という気持ちで強気でしたね。ただ。コントロールを意識するようになってから悩むことも多くなりました(苦笑)。すぐに試合に出られるという気持ちは全くありませんでしたし、(打撃に関しても)高校生の投手はすごいんだろうなと思っていました。でも、実際に対戦してみるとあまり中学時代と変わらないなという印象があって、案外打つこともできました」

 速球派投手として鳴らす一方で、打撃面も際立っていた。高校で積み重ねた本塁打は通算43本。甲子園は不出場、2年夏の都大会4強が最高成績だったものの、ドラフト前には複数の球団が注目するまでになっていた。

「高校時代からずっとプロを目指していましたし、プロしか考えていませんでした。(ドラフト当日は)関係者の方から『広島2位指名』という連絡があって、みんな喜んでくれました。下位指名だと思っていたので本当にビックリしましたし、頭が真っ白で実感が湧きませんでした」

 ちなみに鈴木は投手ではなく、尾形佳紀スカウトから打力と走力を高く評価され、内野手としての指名を受けた。春季キャンプから主にショートの練習を続け、泥まみれになりながら白球を追いかける毎日を送っていた。

「ショートは自分の中でカッコいいという思いがありますし、やりがいはあります。でも本格的に始めると難しいですね(苦笑)。いろいろな判断が要求されますし、頭も疲れます」