カープ一筋22年。先発、中継ぎ、抑えと現役時代の大野豊氏は、あらゆるシチュエーションで数多くの強打者と対峙してきた。その中で紡いだ通算防御率は2.90。

 投手王国と称された第一次黄金期のエースにふさわしい好成績を残している。そんな大野氏が“すごみ”を感じた打者とは誰なのか? 稀代の名左腕でさえ片時も気を抜けなかった打者の三傑を振り返る。

現役時代の大野豊氏は、松井秀喜キラーとしても知られていた。

 ありがたいことに私は22年間現役として投げさせてもらう中で、さまざまな打者と対戦してきました。最も印象的な打者は王貞治さんです。2年目に後楽園球場で初めて王さんと対峙したのですが、当時先輩投手から「王さんの目は見るな」と言われていました。

 そのアドバイスを忘れて、マウンドに上がり王さんの目を見てしまった瞬間にその意味がよく分かりました。王さんと目線があった瞬間に、足の震えが止まらなくなったのです。

 緊張というよりも、王さんの眼力に力負けしていたのでしょう。世界のホームラン王は勝負の前にまず相手投手を目で威嚇していたのです。投手が投球する以前に、勝負をしかけた時点ですでに優位に立っている打者なのだとそのとき感じました。

 ただ、若い頃に王さんという超一流打者の威圧感を知れたことで、その後少々のことでは動じなくなりました。

 また落合博満さんとの対戦もとても印象的でした。一球一球の読み合いというか駆け引きをお互いにしながら、純粋に勝負を楽しむことができました。落合さんを抑えるためにはどうしたら良いのかという事を考えぬかなければ抑えられない打者でしたし、特別な空気感をお互い感じながら勝負ができていました。

 そして巨人の松井秀喜は、その凄まじい成長スピードに恐怖を感じた打者です。当時は巨人戦が全国放送されていた時代だったので、巨人の打者を抑えれば名を売れると思い気合いが入っていましたから、原辰徳も最初の打席で三振を奪いましたし、松井からも初対戦で三振を奪いました。

 若手時代の松井は打ち気が強く、三振やセカンドゴロに打ち取ることが多く打たれた記憶は全くありません。しかし、徐々に『松井にはいつか打たれる気がする』という感覚を持つようになってきました。

 事実、左打者に対して約2年ほど本塁打を打たれていない時期があったのですが、それ破ったのが松井でした。今思えば、一流の才能を持つ打者の成長を肌で感じることができた貴重な体験でした。