堂林翔太のバットから快音が止まらない。7月14日の時点で、規定打席到達者の中でリーグトップの打率(.419)をマークしている。苦しみ抜いてきた男が迎えようとする、プロ11年目にしての覚醒。一軍と二軍を行き来していた昨季までの姿が嘘のような活躍ぶりだ。

 毎年のように周囲から期待を受けながらも、その思いに応えられないシーズンが昨季までは続いていた。ここでは現在の堂林を紐解く意味でも、過去に収録したインタビューを再録。今回は25年ぶりのリーグ優勝に貢献できず悔しさを味わった直後の堂林を振り返る。
(『広島アスリートマガジン』2017年5月号掲載)

オフに新井貴浩氏と共に護摩行に参加し、精神面の鍛錬も行った2017年当時の堂林翔太選手。

― 今シーズンに臨むにあたり、キャンプ、オープン戦と仕上がり具合はいかがでしたか?
「僕は調整と言っているような立場ではないと思っていますが、例年以上に自分でやるべきことを理解しながら練習をこなすことができていると思います。キャンプでは結果も出ていましたし、凡打しても納得いく内容が多かったです。でも3月のオープン戦に入ってから、毎日試合をこなす中でなかなか自分の頭と体が一致しない部分が多かったですね。結果を出したいと思ったこともあって、かみ合わなかった部分がありました。焦っているわけではありませんでしたし、自分で何が悪かったかということは理解できていたので、その点は良かったと思います」

― 昨季オフから新井貴浩選手への弟子入りが話題となりました。何がきっかけだったのですか?
「昨年の8月に食事に連れて行っていただく機会があって、『このままだと、これで終わるぞ。何かを変えないと変わらない』ということをハッキリと言われました。そしてその場で『オフに打撃を教えてください。護摩行にも連れていってください』とお願いしました。打撃に関してはすぐ承諾していただいたのですが、護摩行に関しては『これをやったからといって野球は上手くならないぞ』と断られたのですが、3回目のお願いで了承していただきました」

― 護摩行ですが、なぜそこまで、同行をしたいと思ったのですか?
「護摩行に関しては厳しいと言われていたのですが、僕自身『どうなってもいいから変わりたい』という気持ちがありました。実際に体験してみても、人生で一番キツかったです。少しでも気を抜けば気を失ってしまいますし、気持ちに隙をつくれませんでした。本当に炎に立ち向かっていかなければ、やられてしまいますからね。すごく熱かったですが、逃げられないところで耐えることができました」