お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、1987年から2シーズンにわたり活躍し、本塁打王にも輝いたランス選手について語っていただきます。

◆本塁打王なのに最低打率・最多三振の衝撃

 Google検索に「三振かホームラン」と打ち込むと「ランス」が最初に出てくる事を皆さんご存知でしょうか。

 ランスが日本を去ってはや30年。今だに「三振かホームラン」と聞いて、誰もが頭に浮かべるのが「ランス」という事実は衝撃的です。

 これまで何百人もの助っ人が日本球界にやってきました。その中でも記憶に残っているのはやはり一芸に秀でた選手です。

 カブレラやブライアントの“パワー”、バースやローズの“圧倒的存在感”、クルーンやサファテの“豪速球”。それらは有無を言わせず、我々の心に焼きついています。そんな名選手達の中でカープファンの心に、そしてプロ野球ファンの心に強烈に残っているのが「ランス」なのです。

 ランスがやってきたのは1987年(どうでもいい情報として朝シャンプーするという「朝シャン」が流行った年でもあります)。ランスは引退した山本浩二さんの後釜の大砲として期待されカープに入団しました。

 前評判通り、シーズン最初から、ランスはホームランを打ちまくります。6月には6試合連続8本塁打という記録を作るほど。しかし、その反面、三振の数は尋常ではありませんでした。当たればホームラン、そうでなければ三振というギャンブル性の高い、ある意味魅力に溢れすぎたバッターでした(分かりにくい例えで言うとパチスロミリオンゴッドのようなものです)。

 シーズンが終わってみれば打率.218・39本塁打・83打点・114三振(本塁打・三振数はリーグ1位)。ホームランキングにもかかわらず、規定打席到達者の中で最低打率という記録は今だに破られていません。

 2年目もギャンブル性の高いバッティングを繰り返していましたが、試合中に帰ってしまうこともありヤンチャが過ぎて退団となりました。翌年にはレッドソックスでメジャー復帰しましたが、そのまま引退となりました。