カープは現在、9名のスカウトが逸材を発掘するために全国を奔走している。そのスカウト陣をまとめているのが、苑田聡彦スカウト統括部長だ。苑田スカウトはかつて勝負強い打撃でカープで選手として活躍し、初優勝にも貢献。引退直後の1978年から現在までスカウトとして長年活動を続け、黒田博樹を筆頭に数々の逸材獲得に尽力してきた。

 この連載では、書籍『惚れる力 カープ一筋50年。苑田スカウトの仕事術』(著者・坂上俊次)を再編集し、苑田聡彦氏のスカウトとしての眼力、哲学に迫っていく。

 今回は、2006年の會澤翼、2007年の丸佳浩の獲得エピソードをもとに、チームをつくる上での“バランスの重要性”を紹介する。

2006年の高校生ドラフト3巡目で入団した會澤翼選手。“打てる捕手”として成長し、ベストナインを3度受賞。球団初のリーグ3連覇にも大きく貢献した。

◆ 年齢も個性も役割もバランス良く

 スカウトは全国を歩き回って金の卵を見つけ出す。惚れ込 んだ選手のもとには徹底的に通う。しかし、評価の高さがドラフト会議での指名に直結するわけではない。ポジションや年齢などのバランスを考えてドラフト会議での指名が検討される。

「チームは同じような選手が集まってもダメです。ポジション、左右、年齢、さまざまな選手を集めないといけません。組織には、いろんな性格の人がいたほうが強いものです。先代の松田(耕平)オーナーもおっしゃっていました。『イエスマンばかりでもダメ。意見を述べてくれるタイプも必要』だと。例えば血液型でも、A型ばかりでもダメ。A型と相性の良いO型やB型もAB型もいてもらわないとバランスはとれませんよね」

 現役時代、チーム構成のバランスの重要性を感じてきた。

「私の選手時代、巨人はON(王貞治・長嶋茂雄)の全盛期でした。しかし、ONの引退と同時に、王者の巨人が順位を落としたのを見てきました。カープだって、『ここで、この選手を獲っておかなければチームが成り立たない』というときがあると思います」

 1974年、巨人のV9は途切れ、国民的スターの長嶋が引退を表明した。カープが初優勝を遂げた1975年、巨人はセ・リーグ最下位に沈んでいる。例としてスケールが大きすぎたかもしれないが、やはり、組織とは年齢などのバランスが重要なのである。

 苑田はカバンから一枚の紙を取り出した。『年齢別選手表』と記されている。横軸に、『投手・捕手・内野手・外野手』と区切られている。投打の左右別に欄も分けられている。縦軸には『年齢』が数字で示されている。これを見れば、選手の年齢とポジションの構成が一目瞭然である。

「これはよくできています。松田(元)オーナーが10年以上前に考案されました。この表を基に、どの年代の、どんなポジションの選手が必要か分かります。それに、ある選手が入団すれば、在籍しているどの選手がどんな影響や刺激を受けるかも想像できます」

 2006年のドラフト会議、苑田が担当した會澤翼の指名の狙いも明確だった。

「当時、石原慶幸、倉義和の後の捕手が必要でしたし、彼らを脅かす存在になってほしいと思いました。肩は強いし、打撃では右中間に強い打球が打てていました。ハートも強いし、早い時期に出てくる選手だと思いました」

 実際、当時ベテランの域に達していた倉のインサイドワークや石原の円熟のリードは健在だったが、強打を武器に會澤の出場機会は急増し、2015年はオールスターゲームに初出場し、本塁打も放った。

 2016年からの3連覇に大きく貢献した丸佳浩も、苑田が担当した選手である。2007年当時、カープの外野手の中心であった緒方孝市、前田智徳はベテランの域に達していた。嶋重宣や森笠繁も30歳代に突入、廣瀬純や天谷宗一郎が台頭していたが、次代の外野手の補強が課題であった。そこで苑田が注目したのが、千葉経大附属高のエースとして甲子園でも力投していた丸であった。

「彼は投手だけに肩も強く、足も速かったです。瞬発力もあり、野球センスがありました。性格的にも練習が好きで、将来はレギュラーになれる選手だと思いました。足が遅いとカープではダメです。ヒット4本目でホームに帰ってくる選手は必要ありません。カープはノーヒットで1点を取る野球ですから、スピードのある選手を求めていましたね」

 苑田の眼力は確かであった。丸は順調に成長し、4年目でレギュラーに定着。2013年に盗塁王に輝くと、三村敏之や緒方孝市が背負った背番号9を継承した。翌2014年は全144試合に出場し、初の打率3割をマーク。球界を代表する外野手に成長した。

 年代、左右、ポジション、まさに的確なドラフト指名であったことは間違いない。しかも、丸は『練習への取り組み』『全力プレー』『スピード野球』とカープのDNAを受け継いでいくためには最高の人材であった。苑田は強調する。

「優勝してもらいたい。そのためにどうするか? パワー系の選手も、足の速い選手も、投手も欲しいです。でも、ドラフトでそれらの全てを獲得することはできません」

 その最適解を見つけるべく、苑田は『年齢別選手表』をカバンに忍ばせながら、スカウト活動を続けている。組織はバランス、さまざまなタイプの人材が必要。これは野球の世界のみならず、強い組織を構築していくうえで決して忘れてはならない不変の真理なのかもしれない。

●苑田聡彦 そのだ・としひこ
1945年2月23日生、福岡県出身。三池工高-広島(1964-1977)。三池工高時代には「中西太2世」の異名を持つ九州一の強打者として活躍し、64年にカープに入団。入団当初は外野手としてプレーしていたが、69年に内野手へのコンバートを経験。パンチ力ある打撃と堅実な守備を武器に75年の初優勝にも貢献。77年に現役引退すると、翌78年から東京在中のスカウトとして、球団史に名を残す数々の名選手を発掘してきた。現在もスカウト統括部長として、未来の赤ヘル戦士の発掘のため奔走している。