◆日本シリーズ男の異名を取った本格右腕

 その後4人を置いて、1980年に背番号『35』から『17』に変更したのが山根和夫。1975年のドラフトで2位指名を受け、1977年に入団。1979年には8勝を挙げて頭角を現し、1980年に『17』を着けてからは先発に定着すると、5年間で4度二桁勝利を挙げるなど躍進した。

 “山根と言えば”というほど印象を残したのが日本シリーズでの活躍で、1979年は日本一を決めた第7戦を含めて2勝し、最優秀投手に。翌1980年も第4戦でシリーズ史上3人目の2年連続完封勝利を記録した上、2年連続で第7戦の勝利投手となり、優秀選手に選出された。

 16勝8敗でシーズンを終えた1984年にも日本一決定の試合で勝利投手となって、通算シリーズ戦績は5勝1敗。「日本シリーズ男」の通称も納得だ。またこの1984年にはベストナインも獲得している。だが翌1985年の負傷以降は振るわず、1986年限りで西武へ移籍。1990年、現役生活にピリオドを打った。

 その次の栗田聡が『13』に変更したのを受け、1990年に『33』から『17』になったのが川端順だ。“バタボール”と呼ばれたパームボールの習得をきっかけに、プロ2年目の1985年から活躍を見せた川端については『33』の項で詳述している。

◆FA権を行使し巨人に移籍

 その後4人を経て2002年から『17』を背負ったのは大竹寛だ。2001年ドラフト1巡目指名を受けて高卒で入団すると、当初はコントロールに苦しみ155キロの速球を生かし切れずにいたが、2年目に初勝利を挙げると、3年目には先発ローテ入り。また不調の永川勝浩に代わりクローザーも務めた。

 2009年には球団記録となる連続イニング無失点(43回2/30)をマーク。一時は右肩のルーズショルダーに悩まされるなどしたが、2012年には復活し、翌2013年と2年連続で二桁勝利を記録。そのオフに巨人にFA移籍した。2021年には現役を引退。巨人の巡回トレーニング統括補佐に就任することが発表されている。低迷期のカープで先発の柱の一角として活躍した姿は印象深い。

 その後2年空いて、2016年から現在までの『17』の主は、2015年ドラフト1位で入団した岡田明丈だ。岡田はルーキーイヤーから15試合に先発し、球団の新人投手では川端順、長冨浩志に続き日本シリーズで登板するという即戦力ぶりを発揮。

 2017年にはチーム2位の12勝を挙げ、チームのリーグ連覇に貢献。翌2018年も開幕から先発ローテ入りと順調に見えたが、8勝に終わってしまう。

 突如制球を乱すなど安定感を欠く投球が続き、2019年は未勝利に。2020年、2021年は一軍未出場に終わってしまった。指にかかったときの直球は球界随一とも言われるだけに、本格右腕が完全復活し、再び背番号『17』がマウンドに躍る日が来ることを、多くのファンが期待している。

【背番号『17』を背負った主なカープ選手】
鵜狩道夫(投手/1958年-1967年)
山根和夫(投手/1980年-1986年)
川端順(投手/1990年-1992年)
大竹寛(投手/2002年-2013年)
岡田明丈(投手/2016年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。