かつて、その闘志あふれる投球スタイルから『炎のストッパー』と呼ばれた名選手がいた。先発投手として新人王に輝き、抑えに転向後もその強気のピッチングでリーグ制覇に大きく貢献した投手、津田恒実だ。32歳の若さで惜しまれつつ病没したが、その功績は今なおカープファンの記憶に刻まれている。
現役時代、津田氏の剛球を受け続けてきたのが捕手・達川光男氏だ。誰よりも近くで津田を支えてきた達川氏が、津田氏の現役最後の登板となった試合を振り返る。
(『広島アスリートマガジン』2025年7月号掲載記事を再編集)
◆現役最後の登板で感じた精神力。最後の一球はストレート
1991年、カープが優勝したシーズンが津田にとって最後の年となりました。
津田はシーズン前から異変がありました。3月のオープン戦の時、私に「先輩、今年の風邪はなかなか治らないですね、頭が痛いです」と言ってきました。後で彼の奥さんに聞けば「今日は頭が痛くて行きたくない」と言っていたようです。
4月14日、旧広島市民球場での巨人戦が最後の登板となりました。彼はいつもブルペンから走ってマウンドへ向かっていましたが、その日も何事もないかのように走って出てきました。ただ、投球練習で球を受けた際「なんか今日は球が来てないな……」とは思いました。最初の打者にライト前にヒットを打たれ、次の打者は死球でノーアウト一、二塁。
この場面で原辰徳を迎えたわけですが、2球目をワンバウンドでパスボールとして二、三塁になってしまいました。最後に投げた球はストレートでしたが、レフト前に弾き返されて同点。そこでマウンドを降りました。後から聞けば、降板直後に津田はベンチ裏で「もう投げられない! もうダメだ!」と言っていたそうです。
この日も頭痛を抱えていたと思うのですが、そんな素振りも見せていませんでした。私はその状態に気づけなくて情けなく思いましたが、それを周囲に気づかせなかったのでしょう。今思えば、あの状態で投げたことが信じられないですし、武士道精神というか、最後まで彼の精神力はすごかった。恐怖感もあったでしょうし、それを悟られないように仕事を全うしていた。思い返してみれば、彼の精神力の強さというものを改めて感じます。
いま改めて、1991年、津田と大野のダブルストッパーで戦っていたらどんなにすごかったのだろうと思います。
『剛の津田、柔の大野』という感じで、カープファンのみなさんも見たかったでしょうし、私も受けていたかったです。
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