独立リーグ・徳島インディゴソックスから、育成ドラフトで入団した岸本大希。 彼の魅力はファーム・リーグ西地区で盗塁王に輝いたその足だ。 ルーキーイヤーは95試合に出場して35盗塁に成功した。入団当時「目標はファーム盗塁王」と語っていた岸本。有言実行を果たしたルーキーの野球人生を振り返る。(全2回/第1回)
◆忘れられないのは高校時代の“冬練”。大学時代はプロ志望届を出さず
—まずは岸本選手が野球を始めたきっかけから教えてください。
「父親が野球をやっていたこともあり、小学校2年からソフトボールを始めました。最初はサッカーをやりたかったんですけど、父に『ダメ』と言われて(笑)。あと保育園の時に一緒だった1学年上の女の子がソフトボールをやっていて、その子に誘われたのもきっかけですね」
—中学時代からは、硬式野球の道に進まれました。
「小学校のソフトボールの監督とボーイズリーグのコーチにつながりがあったこともあり、その流れで中学硬式野球の南長崎ボーイズに入りました」
—子どもの頃はどんな少年でしたか?
「ずっと親に怒られていましたね(笑)。やんちゃというより、ダラダラしていたので……。今も割とマイペースなタイプだと思います(笑)」
—高校は長崎商高へ進学されました。
「私立だとお金もかかりますし、長崎県内の公立で野球をしっかりできるところとなると、長崎商高かなと思い進学を決めました」
—高校時代で印象に残っていることがあれば教えてください。
「九州大会に3回出場したことです。当時のポジションは、セカンドとショートで、ずっと内野をやっていました。あとは“冬練”ですね。3班に分かれて、20〜30分ずつをずっとローテーションでやるのですが、1つはポール間を走り続ける班。もう1つは連ティーをひたすらやる班。もう1つがラダーをやり続ける班。みたいな感じで回すんです。あと長崎は坂も多いので、学校の裏にある山の頂上に貯水タンクがあるのですが、そこまで走る練習もありました(笑)。しんどかった高校の思い出です(笑)」
—その後、大学は桐蔭横浜大へ進学されました。
「学校同士のつながりがあったのと、自分も関東で野球をやりたかったので進学を決めました」
—大学時代で印象に残っている大会などはありますか?
「全日本(大学野球選手権大会)ですね。大学2年と4年の時に出場したのですが、最初に出た時は二盗、三盗を続けて決めて、その後犠牲フライで1点入るという形で自分の特徴を出せた試合になりました。ただその大会ではヒットを1本も打てなくて……。その後、4年で出場した時には、ヒットを2本打てたので、それも印象に残っていますね」
—プロを意識し始めたのはいつ頃でしたか?
「独立リーグの徳島(インディゴソックス)に入ると決めてからですね。大学の時はプロ志望届も出していませんでした」
—大学卒業後、プロを目指して独立リーグへ進まれたのですね。
「最初は社会人野球に進みたかったのですが、なかなか決まらなくて……。その時に茶野さん(篤政・西武)が独立リーグからプロに行かれたという記事を見て『もしかしたら……』と思ったんです。独立に行くならプロを目指してやろうと覚悟を決めました。徳島はここ近年毎年プロを輩出していたので、自分から『徳島に行きたい』と伝えました」
—徳島入りを決めた時のご家族の反応は?
「反対されました。親としてはちゃんと働いた方が良いんじゃないかという考えだったと思います。でもそれを見返したいという気持ちもありましたし、元々自分のなかでも1年勝負ぐらいのつもりでいました」
(後編へ続く)
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