1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。
巨人へFA移籍した川口和久氏は、コーチの助言もあり先発からリリーフに転向。投球フォームを改造して徐々に本来のピッチングを取り戻していく。そして迎えた1996年、カープは夏場まで首位を独走したものの、最大11.5ゲーム差を覆されるまさかの展開でシーズンを終えた。カープ、巨人両方のユニホームに袖を通した川口氏が、『メークドラマ』の舞台裏を語る。
(『広島アスリートマガジン』2005年7月号掲載記事を再編集)(全8回/最終回)
◆カープ時代とはまた違う、新たな自分をつくることができた
1996年オールスター前に一軍に復帰した私は、以後はリリーフ投手として毎試合ベンチ入りした。何と言っても、困った時にストライクが取れるようになった事が大きい。カープ時代とはまさに別人の自分をつくる事に成功したと言ってよいだろう。
ただこの年は、前半戦からカープが首位を独走し、6月末の時点で巨人とのゲーム差は最大で11.5まで広がった。実際に巨人の選手達も「今年は(優勝は)カープだろう」と言っていたほどだった。
しかし7月に入って再び直接対決となった札幌円山球場での2連戦で、ペナントレースの流れは大きく変わり始めた。
連敗すれば優勝がほぼ絶望となる巨人は2試合とも打線が爆発して連勝。長嶋監督の名言で、この年の流行語にもなった「メークドラマ」がスタートしたのであった。チームのムードはこの試合を境にだんだんよくなっていったように感じている。
最初は中継ぎでの登板だったが、山倉和博バッテリーコーチが長嶋監督に私の抑えでの起用を進言してくれて、8月下旬頃からは抑えとしてマウンドに上った。
この時からシーズン終了まで、私は全試合に神経を高ぶらせて臨んだので、2ヵ月足らずの間だったが、実に長く感じたように覚えている。

