◆近年はユーティリティープレーヤーの代名詞に

 “初代”である長嶋の活躍が効いたのか、その後も背番号『0』の系譜は途切れることなく続いた。1999年からは、1994年オフに長冨浩志との交換トレードで日本ハムから移籍した木村拓也が継承し、俊足巧打のスイッチヒッターとして活躍した。

 守備面でも捕手、内野、外野と幅広いポジションをこなすなど、チームに欠かせない存在となっていた木村は2006年にトレードで巨人に移籍。2009年9月4日、ベンチに捕手が誰もいないという異常事態に陥ったとき、原辰徳監督の起用に応え見事、捕手を勤め上げたシーンは今もファンの間で語り草となっている。2009年に現役を引退し、巨人の一軍内野守備・走塁コーチに就任した。

 しかし2010年4月2日、マツダスタジアムでのカープ戦の試合前、シートノック中に意識を喪失しその場に倒れ込む。くも膜下出血と診断され治療を続けたが、4月7日に入院先の病院で息を引き取った(享年37)。広島の地で最期を迎えたことには、不思議な縁を感じざるを得ない。

 2007年からは、1998年ドラフト2位で入団した井生崇光がカープの『0』の歴史に加わった。内外野全て守れるユーティリティープレーヤーとして活躍し、2012年限りで現役を引退。その後もカープに残りスコアラー、一軍管理課長などを務めている。

 井生の引退後、現在に至るまで『0』を背負い、カープで最長となっているのが上本崇司だ。2012年ドラフト3位指名で入団すると、高い守備力と走力を誇る名バイプレーヤー的な存在に成長し、ムードメーカーとしてもチームを盛り上げている。課題は打撃だが、昨年はプロ8年目にして初のサヨナラ打を放ち、チームメートから祝福を受けるなか大粒の涙をこぼした。

“発明者”の長嶋はミラクル男と呼ばれるなど印象に残る本塁打が多かったが、高信二以降はいぶし銀的なユーティリティープレーヤーが付ける番号となっている『0』。今では各球団で一般的に見られる背番号となっているが、その起源がカープだったことはもっと特筆されてよいはずだ。

【背番号『0』を背負った主なカープ選手】
長嶋清幸(外野手/1983年-1990年)
高信二(内野手/1991年-1998年)
木村拓也(外野手/1999年-2006年)
井生崇光(外野手/2007年-2012年)
上本崇司(内野手/2019年-)