今季、カープのショートとして抜群の守備力を武器に活躍する矢野雅哉。4歳年上の兄・幸耶さんは現在、社会人野球『三菱重工East』硬式野球部のキャプテンとして活躍している。野球一家の中で育った矢野は、幼少期から幸耶さんの背中を追い続けてきた。誰よりも長く、近くで弟・雅哉を見続けてきた兄に、改めて弟を語ってもらった。(全2回・前編)

ムードメーカーとしてもチームを盛り上げる矢野雅哉選手

小さい頃から兄を追いかける弟。今でも頻繁に野球談義

 矢野家は男3人、妹が1人の4人きょうだいなのですが、妹もソフトボールをやっていました。父親が熱心に僕らに野球を教えてくれていたので、野球一家と言えるかもしれません。雅哉は男兄弟の中では一番下で、僕とは4学年離れていることもあり、小さい頃からずっと可愛い弟です。

 僕が何かをやり始めたら、雅哉はずっと後ろからついてくるような感じでしたし、要領の良いやつでした。僕は小学4年から本格的に野球をはじめました。その頃雅哉は幼稚園でしたが、僕についてきて野球をはじめたのでその頃に野球のユニホームを買って、「小学1年生になったら同じ野球チームに入る」という感じで、練習をはじめていました。ですので、兄弟の中では一番早く野球をはじめたのが雅哉でしたし、覚えることも早かったと記憶しています。そういう事もあり、雅哉は同学年の中ではレベルは抜けていたのではないかと思います。

 僕は今、三菱重工East硬式野球部でキャプテンをやらせていただいています。雅哉も大学時代にキャプテンをやっていましたが、兄弟3人とも、小さい頃からキャプテンをやっているんです。父親がそういうタイプの人だったので、自然と僕ら兄弟も影響を受けたのかもしれません。雅哉は小さな頃からみんなを引き連れて「野球しに行こうぜ!」というタイプでした。

 僕は今年30歳になりますが、雅哉から「まだ辞めるなよ」と冗談交じりに言われたりします。やっぱり小さな頃から僕を追いかけてきていたので、まだまだ野球をやっていてほしい気持ちがあるのかなと感じます。小さな頃から「俺は幸耶と一緒のところに全部行く」と言っていたのですが、僕が福岡第一高時代の監督が安田聖寛監督でした。雅哉が育英高に進学したのも、僕が指導を受けた安田監督だったからなんです。大学も僕と同じところに行くと言っていたのですが、「お前はもっとレベルの高いところに行け」とアドバイスをしました。

 昔から仲は良いですが、雅哉が亜細亜大に入ってから、特に野球の深い話をすることが増えました。自分は4年多く野球を経験しているので、『何か雅哉のきっかけになれば』と思って話をしています。今も連絡を取ることは多いのですが「こっちはプロやから」と言われますが……(笑)。

(後編に続く)

◆矢野幸耶 (やの・ゆきや)
1994年7月30日生、大阪府出身。福岡第一高-北陸大-三菱重工East硬式野球部。福岡の名門・福岡第一高時代は、キャプテンとして活躍。現在プレーする三菱重工Eastでは主に上位打線を打ち、セカンド、ショートで堅実なプレーを見せる右投左打の内野手。2019年にはアジアウインターリーグに出場。2022年日本選手権では首位打者を獲得。2023年にはアジア選手権に社会人侍JAPANに選出された。