広島県の高校球児としてプレーをしたプロ野球選手、OBが高校当時を振り返る本企画。今回は広陵出身の上本崇司選手(カープ)に当時の思い出を語ってもらった。

 広島が全国に誇る強豪校である広陵は、春のセンバツ24回、夏の甲子園23回出場を誇る。上本選手は1年秋からレギュラーとなり、甲子園には3度出場。3年夏には先頭打者本塁打を放つなど、俊足巧打の内野手として活躍した。

 前編となる今回は、広陵進学のきっかけ、寮生活の思い出などを語ってもらった。

広陵で1年秋からレギュラーとなった上本選手。甲子園には3度出場を果たし、俊足巧打の内野手として活躍した。

◆兄を追って、迷いなく広陵に進学

 もともと兄(上本博紀・元阪神)が広陵で野球をしていたことが、一番大きな理由として僕も広陵に進学しました。

 広陵に対するイメージは最初はあんまり分からなかったですが、やはり兄が行ってからはずっと見ていたので、率直に強いなと思っていました。入学するにあたっても、兄からいろいろ教えてもらっていたので、全く知らないところに行くよりは不安はありませんでしたね。

 いざ、野球部に入ってみると・・まずは寮生活が厳しかったですね(苦笑)。もちろん、先輩たちも一緒に生活しているわけですから緊張感もありました。

 ただ、そこで礼儀も学びましたし、野球ではない生活面においても精神的な部分を鍛えていただいた場所だと思います。あの経験をすれば、卒業後も少々の事なら余裕で耐えられるくらいです(笑)。

 野球の練習ですが、いろんな思い出がある中で真っ先に思い出すのが、「45秒」という広陵伝統の名物ランニングメニューですね。ホームベースからライトとレフトポールあたりにカラーコーンを置いてできた三角形を、三塁側から時計回りにダッシュして、45秒での完走を目指すというものなんですが……あれは本当にキツかったです。

 僕は短い距離なら得意だったんですが、長い距離となると全然ダメで、持久力がなくて(苦笑)。45秒で帰ってこないと終わらないんです。

 もちろん、野球の練習も厳しかったですけど、耐えられないという感覚はありませんでした。ただ、この「45秒」は練習の最後にあるものですから、その前の練習で手を抜く訳ではないですけど、最後の45秒に耐えられるように……と考えながら練習していた面もあります(笑)。

 高校時代はたくさん良い選手がいましたけど、僕にとってライバルというか、常に気になる存在というのが同い年で中学時代にずっとチームメートだった大田泰示(日本ハム)でしたね。

 彼は神奈川県の東海大相模高に進学して、なかなか情報は分からなかったですけど、ずっと意識していました。高校時代に対戦がなかったので、一度は対戦してみたかったですね。(後編に続く)