甲子園を目指し、仲間と白球を追いかけた高校時代。そこで培った経験は、球児たちのその後の人生にも大きく影響を与えている。プロに進んだ選手、社会人野球の道を選んだ選手……。ここでは、それぞれの道に進んだ元・球児たちが、高校3年間を振り返る。

 今回は、広陵時代に3度の甲子園出場を果たし、現在はカープのユーティリティープレーヤーとして活躍する上本崇司が登場する。

 多くの高校野球ファンの記憶に残るあの2007年の決勝戦と広陵野球が、上本の人生を変えた。

上本が“青春時代”を過ごした、広陵高野球部の専用グラウンド。

◆兄を追う形で広陵へ進学。鍛えられた忍耐力

 もともと兄(上本博紀・元阪神)が広陵で野球をしていたことが、一番大きな理由として僕も広陵に進学しました。広陵に対するイメージは最初はあんまり分からなかったですが、やはり兄が行ってからはずっと見ていたので、率直に強いなと思っていました。入学するにあたっても、兄からいろいろ教えてもらっていたので、全く知らないところに行くよりは不安はありませんでしたね。

プロ10年目を迎えた2022年シーズン、自身初の開幕スタメンを勝ち取った上本崇司

 いざ、野球部に入ってみると、まずは寮生活が厳しかったですね(苦笑)。もちろん、先輩たちも一緒に生活しているわけですから緊張感もありました。

 ただ、そこで礼儀も学びましたし、野球ではない生活面においての精神的な部分を鍛えていただいた場所だと思います。あの経験をすれば、卒業後も少々の事なら余裕で耐えられるくらいです(笑)。

 野球の練習ですが、いろんな思い出がある中で真っ先に思い出すのが、「45秒」という広陵伝統の名物ランニングメニューですね。ホームベースからライトとレフトポールあたりにカラーコーンを置いてできた三角形を、三塁側から時計回りにダッシュして、45秒での完走を目指すというものなんですが……あれは本当にキツかったです。僕は短距離なら得意だったんですが、長距離となると全然ダメで、持久力がなくて(苦笑)。45秒で帰ってこないと終わらないんです。

 もちろん、野球の練習も厳しかったですけど、耐えられないという感覚はありませんでした。ただ、この「45秒」は練習の最後にあるものですから、その前の練習で手を抜く訳ではないですけど、最後の45秒に耐えられるように……と考えながら練習していた面もあります(笑)。

 高校時代はたくさん良い選手がいましたけど、僕にとってライバルというか、常に気になる存在というのが同い年で中学時代にずっとチームメートだった大田泰示(DeNA)でしたね。彼は神奈川県の東海大相模に進学して、なかなか情報は分からなかったですけど、ずっと意識していました。高校時代に対戦がなかったので、一度は対戦してみたかったです。

=後編へ続く=

上本崇司◎1990年8月22日生、広島県出身
2006年に広陵高に入学。1学年上には野村祐輔(カープ)、小林誠司(巨人)らがおり、同学年には中田廉(カープ)がいる。2年春に甲子園初出場を果たしてベスト8。2年夏には甲子園準優勝。3年夏には2回戦敗退も、同じく広陵高でプレーした兄である上本博紀(元阪神)と兄弟揃っての甲子園先頭打者本塁打を放った。
卒業後は明治大でプレーし、2012年ドラフト3位でカープに入団。長年ユーティリティープレーヤーとしてチームで欠かせない存在として活躍している。