1975年にカープのヘルメットが赤に変わり、『赤ヘル』と呼ばれるようになり50年の時が流れた。カープ坊やの登場も同じく50周年、そしてマスコット・スラィリーは登場30年・・と、数々の節目を迎えるカープ。ここまでの輝かしい歴史のなかには、記録、成績、そして多くの逸話が生まれた。

 ここでは、その栄光の影にひっそりと記されてきた『珍』記録に目を向けてみる。

マツダ スタジアムでも、数々の『珍』記録が生まれた

◆史上5例しかない!? しかも一人はシーズン唯一の本塁打

 チームを存分に勢いづける初回の先頭打者ホームラン。記録としてはさほど珍しくもないが、ここから後続も本塁打攻勢で続く珍しい記録が、『初回3連続本塁打』の記録だ。

 これまでに5例しか数えられていない記録で、カープでは1989年6月4日に髙橋慶彦、正田耕三、ロードンが放った3連続が唯一。

 しかも正田の本塁打は、当シーズンこの1本のみだった。

◆全球団から勝利をもぎ取ったカープ唯一の投手

 2005年からセ・パ交流戦が導入されたが、一流の投手でないとなかなか達成する事ができない『全球団勝利』記録。

 少なくとも1度はチーム移籍をする必要があるうえ、移籍先でも信頼を得ないと記録達成は不可能だ。

 カープでは2002年に入団し、2013年オフにFAで巨人へ移籍した大竹 寛が2014年に記録したが、12球団目の勝利は奇しくもカープからだった。

◆『最低打率の本塁打王』と『本塁打0の首位打者』がいる打線

 1987年に39本のホームランを放ち本塁打王に輝いたのは、規定打席到達者の中で最低打率.218をマークした髭がトレードマークのランス。

 一方で、この年に首位打者に輝いたのは、巨人・篠塚利夫と、し烈な首位打者争いを演じた正田耕三。

 正田はこの年、1本のホームランも打たずに.333という打率をキープし、篠塚と共に二人での受賞となった。