10月20日に開催される、『2022年プロ野球ドラフト会議』。各球団スカウトの情報収集の集大成であり、プロ入りを目指すアマチュア選手たちにとっては、運命の分かれ道ともなる1日だ。

 カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の “眼力” で多くの逸材を発掘してきた。ここでは、広島アスリートマガジン創刊当時(2003年)の人気連載『コイが生まれた日』を再編集して掲載。カープのスカウトとして長年活躍してきた、故・備前喜夫氏が語った、レジェンド獲得の裏側とは。

 今回は、選手として2000安打を記録し、2010年からは監督も務めカープを16年ぶりのAクラス(3位)入りへと導いた、野村謙二郎氏の獲得ヒストリーをお送りする。

◆「頭の良い選手」という評判は知っていたが、ここまでとは……

三拍子そろった内野手・野村謙二郎。3度の盗塁王を獲得し、1995年には3割・30本塁打・30盗塁を達成した。

 彼がドラフトで指名されたのは平成になる直前の昭和63年の秋、山本浩二監督が最初に監督に就任してすぐのドラフト会議でした。同期入団には江藤智(元・広島、巨人など)がいますが、この年のドラフトでは、1位を野村にするか、甲子園でも活躍した谷繁元信(元・中日など)にするかでかなり協議したのを覚えています。

 ウチとしては当時の正捕手だった達川(光男)の後継者も欲しかったし、内野の要であるショートも欲しかったんです。それで野村の場合には、野球の名門である駒澤大で主将を務めていたこともあって「将来の指導者の候補生という意味も含めて野村を獲得したらどうか」という意見と、「いや、ウチで手薄なのは捕手だから、谷繁にした方がいい。彼は地元(広島県庄原市東城町)出身だし」という意見で分かれたんです。

 二人とも獲れれば一番良かったのですが、両選手ともに他球団も1位指名にする方向のようだったので、どっちかに決めなければならなくなってしまいました。

 最終的に野村に決めた理由、それは本人と大学側の協力です。駒澤大の担当スカウトがリーグ戦や練習をこまめに見に行って当時の太田監督とも常に話をしてきた中で、「お宅の野村君をウチでは将来の幹部候補生としても考えています。だからぜひとも1位で指名したいんです」とお願いして、単独で1位指名することができました。

 体は決して大型ではありませんが、大学生の遊撃手という面ではズバ抜けていました。身体能力も素晴らしかったですが、何より「彼は非常に頭がいい。だから内野の要である遊撃手には非常に適している」と後から太田監督に聞いたのを覚えています。