かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた故・備前喜夫氏が語ったカープレジェンドたちの獲得秘話。先発、中継ぎ、抑えとして1990年代のカープを支え続けた、あのドラフト1位投手についてお送りしよう。カープ球団史に名を残すあの投手は、いかにして入団したのだろうか。

先発100勝100Sを記録するなど、役割問わず活躍したエース・佐々岡真司。

◆高卒時点で指名できない理由があった

 佐々岡は学年では佐々木主浩(元横浜など)や桑田真澄(元巨人など)、清原和博(元巨人など)と同じです。甲子園で活躍した彼らとは違って、彼は目立った戦績はありません。

 ただ「浜田(島根県)にすごい球を投げる高校生がいる」という話は私達も当然知っていて、広島から近い事もあり最初はチーフだった私が自ら担当しました。登板しない日にはショートも守り、バッティングも3、4番を打つなど素晴らしいものがありました。

 ただ彼は、最後の夏の県大会以前に、広島市のNTT中国への就職が内定していました。『相手が同じ広島の会社ならば、話をすれば指名できたのでは』と思われるかも知れませんが、カープとしてはそれはできませんでした。なぜならチーム自体が、NTT中国さんに大変お世話になっていたからです。

 1985年当時はまだ由宇練習場がなかった頃で、二軍は時々このNTT中国のグラウンドを借りて練習させてもらっていました。球団としては本当は高校卒業後すぐ獲得したかった選手だったのですが、日頃からお世話になっている所にさらに迷惑をかけるわけにもいかず、指名を諦めることになりました。

 高校の野球部の監督さんに「(高校から社会人入りした選手をドラフトで指名できる)3年後にまたご縁があったらよろしくお願いします」と言って、その年は別れました。

 社会人生活を経て、1989年にようやく1位で単独指名ができ、獲得にこぎつけました。浜田商高卒業から4年後のことです。この4年間でもともと速かったストレートに加え、プロ入りしてからの決め球となったスライダーとカーブを覚えたのが大きかったですね。力まかせでなく配球を考えて投げるようになり、投球自体も完成されていきました。

 私は当然彼がNTT中国入りしてからも、引き続きマークしていました。NTT中国の練習や試合はもちろん、入社3年目から選ばれた全日本チームの浜松合宿にも足を運びました。ただ指名した1989年については、当時スカウト1年目だった佐伯和司に担当を引き継ぎました。佐伯がNTT中国の野球部側と意気投合したこともあって、「4年越しの恋人」であった佐々岡を、ドラフト1位で単独指名することができました。

【佐々岡真司】
1967年8月26日生、島根県出身。
県立浜田商高からNTT中国に入社。1989年ドラフト1位でカープから指名を受け、翌年4月12日にプロ初マウンドを踏み、初勝利を飾る。ストレートとスライダーを武器に先発〜抑えまで、さまざまな場面で登板しプロ100勝100セーブを達成。2007年の引退後は、プロ野球解説者などを経て、2019年オフ〜2022年までカープの監督として指揮をした。

【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日、広島県出身。
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。