2023年ドラフトが目前に迫ってきた。来年の若いチカラへの期待で、多くの人がそわそわし始めるころだろう。かつてカープのスカウトとして長年活躍してきた備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を再編集して掲載。
今回は、1994年のドラフト2位でカープに入団。投手として入団するが、プロ5年目に打者転向。2004年に首位打者、最多安打、ベストナインを獲得した嶋重宣の入団秘話をお送りする(過去の記事を再編集)。

打者転向から5年目の2004年、一躍時の人となった嶋重宣。背番号が55だったことから名付けられた“赤ゴジラ”のニックネームは、流行語大賞にもノミネートした。

◆投手にしろ野手にしろ、1位で他の球団が指名してもおかしくない逸材でした。

 入団10年目の今年、野手転向からは6年目で、プロ入り初の開幕一軍が見えてきた嶋。2004年から背番号も「00」から「55」に変わりましたが、投手として入団した当初は「34」でした。

 彼がドラフトで指名される直前の1994年の秋、カープ選手初のFA宣言で巨人へと移籍した川口和久(元カープなど)から受け継いだ番号です。左投手としてのこの番号は、400勝を達成した金田正一(元巨人など)の背番号という特別な意味もあります。

 前年まで左のエースが着けていたその番号をもらう事からわかるように、嶋は「江夏2世」と称された期待の豪腕サウスポーでした。

 埼玉県の出身ながら、高校から遠く離れた仙台市の東北高に野球留学。高3の春にはエース・4番で甲子園に出場しました。この年のドラフトでは、逆指名で入団した地元東広島市出身の山内泰幸(元カープ)を公式戦開幕前から1位指名する事に決めていたので、嶋など2位以下の選手の獲得に時間をかける事ができたというのもあったかも知れません。3位の朝山東洋(現一軍打撃コーチ)、4位の高橋建、5位の横山竜士(現一軍投手コーチ)といった同期入団の選手も、一軍で活躍する事ができました。

 嶋は全日本チームが仙台でキューバと試合を行った際、高校生から秋田経法大附高の小野仁(元巨人など)と共に東北を代表する両サウスポーとして選ばれました。当時担当した苑田スカウトは嶋の存在を早くからキャッチしており、私も彼を見に仙台まで行きました。その時に最高球速147kmをマーク。とにかく球が速くて、粗削りではありましたがコントロールも十分あったという印象がありました。

 高校通算で30本以上のホームランを打つなど、嶋は投球だけでなく打撃でも各球団のスカウトから注目され、野手として指名しようとした球団も多かったと聞いています。しかし我々カープスカウトは、彼の投手としての素質を他のどの球団よりも高く評価し、嶋自身も「投手としてやりたい」という気持ちが大変強かった事もあって、ほぼ相思相愛での獲得となりました。

 結果的に2位での単独指名でしたが、投手にしろ野手にしろ、1位で他の球団が指名してもおかしくない逸材でした。

 初めて話をした指名後のあいさつの時の印象は、「非常に気の強い子だな。プロ入りに対して相当自信を持っているようだ」という感じでした。礼儀正しく、人当たりも良いのですが、自分の趣味や夢をしっかりはきはきと話す部分にそう感じました。特に高校から入ってくる新人選手はおとなしくて声が小さかったりする子が多いのですが、彼の場合は全然違っていました。

 本来なら左のエース候補として、早いうちから一軍で勝ち星を挙げてもおかしくありませんでしたが、不運にも1年目からその左腕に故障が出てしまいました。ヒジの軟骨を手術したのですが、手術後は最高球速が140km出るか出ないかくらいまで落ちてしまいました。約1年前のキューバ戦から、10km近くも落ちてしまったのです。

 そして2年目には肩を痛めてしまいます。3年目、4年目は一軍でも登板。地元での巨人戦に先発もしましたが、結局勝ち星を挙げる事はできず、4年目の秋季キャンプでヒジを痛めた事をきっかけに5年目からは野手に転向しました。6年目から背番号も「00」に変わったのです。

 嶋は左投げのため、野手としての守備位置は一塁手もしくは外野手に限定されます。高1の頃は中堅手でレギュラーだったようですが、現在の登録は内野手で、昨年のウエスタンでは右翼手か一塁手を守っています。タイプとしては一塁手の方が向いているのではと思うのですが、ここには四番候補の新井がいます。このため今年チームで最も激戦区である右翼手の定位置を目指すことになります。

 レギュラーを勝ち取るには自分の特徴をアピールする事が重要になってきます。嶋の特徴と言えば、やはり181cm、90kgの体格を活かしたパワー。右打者で言えば新井や巨人に移籍した江藤のようなタイプと言えるでしょう。逆にカープの左打者で長打力を売り物にする選手は、嶋以外にはほとんどいないのもまた事実です。このオープン戦でどれだけ長打力でアピールできるかが、一軍定着へのカギとなるでしょう。

※2003年オフから嶋は背番号を『55』に変更。2004年シーズンはライトのレギュラーに定着し中軸を任された。当時の四番・ラロッカに次ぐ、チーム二番目の32本塁打、189安打を放って最多安打と首位打者のタイトルを手にした。このブレイクにより、当時のニックネーム『赤ゴジラ』が流行語大賞にノミネートされた。

【嶋重宣】
1976年6月16日生、埼玉県出身。東北高-広島-西武(1995年ー2013年)。1994年ドラフト2位でカープに入団。全国屈指の高校生左腕として注目を集め、カープにも投手として入団した。しかし一軍登板はわずか2試合。5年目の1999年に打者に転向した。二軍で実績を積んで迎えた2004年、打率.337、189安打、32本塁打の成績を残しレギュラーに定着。首位打者、最多安打、ベストナインを獲得した。その後も一軍で活躍し、2012年シーズン前にトレードで西武に移籍。2013年に現役を引退し、翌年から西武で打撃コーチを務めている。

【備前喜夫】
1933年10月9日生-2015年9月7日没。広島県出身。旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987~2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。