広島東洋カープにまつわるモノ・コト・場所をクローズアップして取り上げる『カープ再発見』企画。開幕を心待ちにするカープファンに、開幕がもっと待ち遠しくなる(!?)アレコレをお届けする。
今回は、旧広島市民球場時代のリリーフカーを取り上げる。無人型で人気のあった『ロボコン』から、スラィリーのマイカー代わりにまでなったリリーフカー。旧市民球場時代、数多くの投手をマウンドに送り届け、さまざまな名場面を演出してきたリリーフカーの歴史を紐解いてみよう。(『広島アスリートマガジン2004年4月号』掲載記事を再編集)
◆無人自走型だった初代リリーフカー。その名も『ロボコン』
リリーフカー導入のきっかけは、1977年の旧広島市民球場の外野席増床に伴い、それまでレフト・ライトのファールグラウンドにあったブルペンが外野席スタンドの下に移動したこと。
リリーフカーは他球場では後楽園球場・甲子園球場にあったが、いずれも運転するスタッフがいた。しかし旧広島市民球場のものは、グラウンドの下に設置されたレールの上をブルペンからコーチャーズボックス付近まで走行するという無人型。操作パネルを押すと自動的に動いて戻ってくる仕組みになっていた。
名前はその当時流行していた子供向けテレビ番組のような『ロボコン』というもの。
いつもなら投手をベンチ手前付近まで届けた後、一人でブルペンへと帰っていく大変お利口さんなロボコンだったが、無人ゆえに故障や操作ミスが出ると後処理が大変。コースアウトしたりフェンス前で立ち往生したりもしたが、その滑稽さからも多くのカープファンに愛された。

