先発として調整していた春先、突然告げられた中継ぎへの転向。戸惑いながらも、磨き上げたストレートを武器に一軍で存在感を示してきたカープ・髙太一。「どう結果を残せば良いのか分からなかった」と語った髙が、中継ぎとして台頭するまでの軌跡を振り返った。(全3回/第1回)

6月6日のオリックス戦では8回表一死満塁の場面で登板。見事火消しに成功した

◆うれしさと同時に大きな不安も感じた、中継ぎとしての一軍昇格

—2026年はシーズンを通して56登板と、キャリアハイの数字を記録しました。キャンプ、オープン戦まではずっと先発調整でしたが、そこから中継ぎに変わった経緯を聞かせてください。

 「実は分からないんです(笑)。春先まで二軍でも先発をやっていて、全然調子も良くなかったんです。自分でも『どうしよう……』と試行錯誤しながら、トレーナーさんやコーチの方とも話をしていました。そんな状態では一軍には上がれないと思っていたので、もう少し先を見据えて、5月、6月頃の夏前の大事な時期に必要とされるように段階を踏んでいこうと思っていた矢先に、一軍昇格が決まったんです」

—その時は、どのような気持ちでしたか?

 「電話がかかってきて、そこで初めて中継ぎだと知りました。先発、中継ぎに関係なく、一軍に上がれること自体がうれしかったですけど、それと同時に不安も大きかったですね。中継ぎとして一軍に帯同することが初めてでしたし、『中継ぎとしてどうやって結果を残していけば良いんだろう』という不安は大きかったです」

—中継ぎとしての調整は、当初どのように行なったのですか?

 「中﨑(翔太)さんに、ブルペンへの入り方や準備の仕方を教えてもらいました。いろいろアドバイスをいただき、そのなかで自分のやり方をつくっていきました。本当に、中﨑さんがその時ブルペンにいてくれたのは自分のなかですごく大きかったと思います。最初はブルペンの入り方も、球数をどれぐらい投げるのかも分からなかったですからね」

—中継ぎ転向後は15試合連続無失点と、良いスタートを切れました。

 「運が良かったんじゃないですかね(笑)」

—リリーフとして、どんな意識でマウンドに向かっていましたか。

 「勝っている場面でも『ゼロに抑えて帰ってくる』ということだけを意識していました。あとは、1球目から全力でいけるように準備をしていましたね。先発ももちろん準備ありきですが、中継ぎは毎日投げる可能性がありますし、毎日肩をつくらないといけないですからね。気持ちの切り替えであったり、体のつくり方だったり、1球目から全力で行けるための心と体の準備がすごく大切なんだと、より思うようになりました」

(第2回へ続く)

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