2020年は堂林翔太“覚醒”のシーズンになったと言っても過言ではない。開幕序盤から安打を量産し、8年ぶりに規定打席に到達するなど、最後までレギュラーとして活躍。期待されながらも結果を残すことができなかった男が、プロ11年目で見事な復活劇を見せつけた。

 11年目の覚醒を見せファンを魅了した、堂林翔太のこれまでの軌跡を、当時の本人の言葉とともに辿る。今回は大不振に喘いだ2015年からの5年間に焦点を当てて振り返っていく。

2015年から2019年は一軍定着ができず、堂林翔太選手にとって不本意な5年間となった。

◆2015年からの長いトンネル

 「野村前監督は僕を起用してくれたということもあって、自分のなかで多少の甘えのようなものがあったと思います。監督が代わって2015年に出られるかどうかは分かりません。そこは変わらず食らいついて競争していきたいと思っています」

 2年連続でクライマックスシリーズ進出を果たした2014年オフ、カープは監督が交代した。堂林翔太がカープに入団した年に監督に就任した野村謙二郎監督が5年間の役目を終え、緒方孝市新監督へとバトンを渡した。そして、緒方監督が指揮した2015年から2019年の5年間、堂林は出口の見えない長いトンネルに迷い込むことになる。

 5年間の通算安打は60安打、通算本塁打は3本、通算打点は23打点。一軍デビューした2012年に全試合に出場し、荒削りながらはつらつとしたプレーを見せていた堂林の姿はなかった。

 

 そんな背番号7の成績と反比例するように、チームは2016年に25年ぶのにリーグ優勝を達成。そしてそこから球団史上初の3連覇を成し遂げた。野村監督が我慢して起用してきた若い力が、緒方監督の采配のもと力を発揮し、チームは黄金時代を迎えていた。しかし、背番号7を背負い“チームの顔”として期待されていた堂林は安定した成績を残せず、次第に出番も限られるようになり、一軍と二軍を行き来する日々が続くことになった。