現役時代には新人王をはじめ、盗塁王、ゴールデン・グラブ賞に輝くなど、カープの主力選手として活躍した梵英心氏。

 カープ退団後は社会人野球エイジェックで選手兼任コーチとしてプレーし、2019年に選手を引退。2020年はJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。

 本連載では梵氏の著書「梵脳 失敗したらやり直せばいい。」を元に、梵氏が歩んできた野球人生に迫っていく。最終回は、カープを退団してから社会人野球への復帰、選手引退など、新たな“挑戦”の日々にスポットを当てた。

2018年、社会人野球チーム『エイジェック硬式野球部』に選手兼コーチとして加入。13年ぶりとなる社会人野球復帰を決断した。

◆13年ぶりの社会人野球復帰を決断。そして現役引退へ。

 カープを退団した梵は、新たな所属先を探し日夜奔走していた。そんなか日産自動車時代の先輩から、かつてダイエーホークス(現ソフトバンク)に所属していた養父鉄氏を紹介される。

 養父氏はアメリカのマイナーリーグや独立リーグ、ベネズエラ、台湾などでもプレーした経験を持ち、海外の野球界傾斜にパイプを持つ人物だ。

 2018年2月、わずかな可能性にかけて梵はアメリカに渡った。

 平日はジムで汗を流し、週末はトライアウトを待つ同じ立場の選手たちとの調整試合。12月末には日本の独立リーグからオファーが入っていたが、本気でアメリカでのプレーを目指していた梵は丁重に断りを入れていた。


 3月から4月上旬にかけ、ようやくマイナーリーグや独立リーグのトライアウトを受けられる機会が巡ってきた。しかし、年齢がネックとなり最終選考まで残るものの、色よい返事は返ってこなかった。

 自身が決めたタイムリミットが迫るなか、その後の野球人生を大きく左右する一本の電話が日本からかかってきた。


「実はエイジェックという会社が栃木で社会人野球チームを立ち上げようという話があるんです。もし良かったら力を貸してくれませんか?」

 まったく予想もしていなかった社会人野球チームからのオファー。入団条件は『選手兼任コーチ』。指導経験を積むことは、自身の将来を考えたときには必ずプラスになる。ましてや育ててもらった社会人野球に恩返しすることができれば行く意義もある。梵の意志は固まった。

 2018年6月、栃木県小山市を拠点とする社会人野球チーム『エイジェック硬式野球部』に選手兼コーチとして加入した。自身のルーツである社会人野球へは13年ぶりの復帰だった。かつてカープファンを熱狂させた梵が、再び背番号6を背負い第2の野球人生をスタートした。

 立ち上がったばかりの社会人野球チームでの日々は新鮮だった。当然ながらプロ野球チームとは環境、設備は雲泥の差だ。しかし梵は、それが「しんどいとか、辛いということではなく現実はこんなに大変なんだな」と改めて感じさせられていた。

 エイジェックでの1年目は、野球をプレーできる喜びを感じながら、様々な困難と立ち向かうなど、経験したことのないやりがいを感じていた。そしてエイジェック野球部としての2年目となる2019年。梵は大きな決断を下す1年となる。

 結成から2年目となるこの年、チームは初の都市対抗野球大会への挑戦が決まった。コーチ兼任の梵は出番が限られる中で、若手選手たちの育成にも尽力。そんな状況下でチームは第一代表での出場を逃したものの、苦闘の末に第二代表の決定戦にまでコマを進めた。しかし、惜しくもこの試合で敗れ、都市対抗野球大会本戦への出場とはならず。結果的に選手・梵英心にとって、第二代表決定戦が最後の一戦となった。

 その後、梵は選手としての現役引退を決断し、静かにユニホームを脱いだ。2020年にはJFE西日本硬式野球部のコーチに就任し、社会人野球の世界で指導者としてのキャリアを着実に重ねていった。そして2020年11月、オリックス・バファローズ一軍打撃コーチの就任が決定。NPBにはカープを退団した2017年以来4年ぶりの復帰となる。

 紆余曲折の野球人生を歩んできた梵。2021年からはNPBでの新たなる挑戦がはじまる。

●梵 英心(そよぎ えいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。三次高-駒澤大-日産自動車-広島(2006~2017年)-エイジェック(2018年~)。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でカープ入団。2006年に新人王を受賞。2010年には初の打率3割(.306)を達成し、43個で盗塁王、ショートとしてゴールデン・グラブ賞にも輝いた。2013年には選手会長に就任。2017年オフにカープを退団。2018年に社会人野球・エイジェックで選手兼コーチとしてプレー。2019年10月11日に現役引退を発表。2020年にはJFE西日本硬式野球部のコーチを務め、2021年からはオリックス・バファローズの一軍打撃コーチに就任することが決まった。