8月5日に開幕した、第108回・全国高等学校野球選手権大会。今年も予選を勝ち抜いた高校球児たちが、甲子園球場を舞台に白熱した試合を繰り広げている。
ここでは、カープ選手自身の言葉で、それぞれの夏を振り返っていく。2024年ドラフト1位で入団した佐々木泰の“最後の夏”は2020年。コロナ禍に見舞われ、戦後初めての開催中止となった。春のセンバツ、夏の甲子園ともに中止となり「落ち込んだのも事実」と語った佐々木にとって、高校3年間はどのような時間だったのだろうか。期待の主砲候補が明かしていた、当時の心境とは。(『広島アスリートマガジン』2025年6月号掲載記事を再編集)
◆野球人生の分岐点は、県岐阜商高への進学
ー岐阜県出身の佐々木泰選手ですが、中学では岐阜ボーイズでプレーし、高校は強豪の県岐阜商高に進学されました。
「元々は地元にある、特に強豪校ではない高校に行こうと思っていました。中学3年の最初までは主に投手だったのですが、中学最後の大会で、打撃面で結果が出ていたこともあり、野手で出場をしたんです。その試合を見た県岐阜商高の当時の監督がスカウトしてくださり進学を決めました。この決断が人生の分岐点でした」
ー具体的に分岐点と感じた部分は?
「実は、自分が入学する年の3月に、熊本の強豪校である秀岳館高で監督をされていた鍛冶舎(巧)監督が県岐阜商高の野球部監督に就任されたんです。高校進学を決めたタイミングでは鍛冶舎監督が来るということは知らなかったのですが、自分は中学の頃から秀岳館高を甲子園でも応援していて、県岐阜商高に来られるという噂を聞いて、よりモチベーションが上がった記憶があります。まさかこれからめちゃくちゃ厳しい練習があるということは想像もせず……(苦笑)。ただ、この高校時代で成長したことは間違いないですし、本当にご縁に感謝しています」
ー1年時から4番を務めるなど活躍し、3年時には甲子園出場が決まっていたにもかかわらず、コロナの影響で中止となりました。当時の心境はどうでしたか?
「当時は『何かしら大会はできるんじゃないか』ぐらいに考えていたのですが、まさか選抜もなくなり、夏の大会もなくなり……という状況で落ち込む部分はありました。というのも、自分がプロ野球選手になることを目標にしていたので、“プロに行く道が少し遠くなった”という思いが正直ありました。東海大会での実力しか分からず、甲子園に出て自分の実力を試したいと思っていましたし、選抜に向けてすごく状態も良くなっていて、レベルアップしている実感がありました。選抜大会でホームランをたくさん打って、活躍してプロのスカウトに見てほしいという気持ちでいたので、その部分での不安がありました」
ー高卒でのプロ入りを目指されていたんですね。
「高卒で行きたいという気持ちは強かったです。監督にもそういう話をしていたのですが、大会がなくなってしまい、自分の実力も試せないままで、不安なところも正直まだあるからということで、それならレベルの高い大学に行って、そこからいろいろ経験してプロを目指すのも良いのではという思いで、大学進学を決めました」
ー2020年8月11日に行われた甲子園高校野球交流試合(新型コロナウイルス感染拡大を受けて中止となった、第92回・選抜高等学校野球大会の代替大会として開催された交流試合。全32校が参加した)ではホームランを放ちましたが、どんな思いでしたか?
「『甲子園でホームランを打つ』ということをずっと目標にしていました。大会がなくなってしまった悔しさをぶつけるという思いと、最後の打席で悔いだけは残したくないという気持ちで打席に立って、ホームランを打つことができました」
ー2021年ドラフト7位でカープに入団した髙木翔斗選手は、県岐阜商高時代の1学年下です。高校時代はともにプレーもされていました。
「本当に不思議な感覚といいますか、カープに決まった時も髙木の顔が思い浮かびました。高校時代はストレッチを組んでいた仲なので、4年の時を経て再び一緒にできるというのは本当にうれしいです」
■佐々木泰(ささき・たい)
2002年12月24日生まれ・岐阜県出身
右投右打/内野手
県岐阜商高ー青山学院大ー広島(2024年ドラフト1位)
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