新人7選手が大野寮に入寮するなど、3年ぶりのリーグ優勝、悲願の日本一を目指して動き始めたカープ。この企画では、現在主力として活躍する選手たちのルーキーイヤーの独占インタビューをもとに、彼らのプロ1年目を振り返る。

 今回は、カープのエースとして活躍し、現在大リーグで活躍している前田健太が語っていた“1年目の言葉”を取り上げていく。

ファンから“マエケン”の相性で親しまれた前田健太投手。プロ1年目は一軍出場はなかったが、二軍でチーム最多となるイニングを投げ、プロでの経験を積んだ。

◆チームからもファンからも信頼される安定感のある投手を目指して

 2006年高校生ドラフト1巡目で、名門・PL学園高から入団した前田健太。当時のカープはマーティ・ブラウン監督が就任し、チームは世代交代を進める真っ只中。前田は次代のカープ投手陣を担う存在として大きな期待を背負っていた。

 高校時代の前田は「桑田2世」と呼ばれることも多かった。それゆえに、高校の先輩・桑田真澄(元巨人)に憧れ、プロ野球を代表する偉大な投手の背中を追い続けてきた。

「高校の時から、桑田さんは練習の時だけじゃなく私生活も違うといろんな方から話を聞いていました。練習は人の倍はおこない、生活面でも例えば、掃除は後輩にさせず自分でしたりとか。そういう話を聞いて、すごく憧れるようになりました。投球スタイルにしても、ストレートの速さや質とか、ストレートとカーブの投球パターンでも自分によく似ているので、桑田さんのような投手になりたいと思っています」

 プロ1年目の前田の投球スタイルは、真っ直ぐでどんどん押していくスタイル。そこに桑田のように、縦に落ちるカーブを持ち味にしていた。

「カーブは中2の時に投げ始め、最初は普通のカーブでしたが、縦に割れる方が打者も打ちにくいと思い、自分で握りを変えて今のものになりました。この緩いカーブを磨いて、プロでも武器として使っていけるようにしたいです」

 キレのある真っ直ぐをコースに投げ分け、伝家の宝刀・カーブを効果的に使う、緩急を使った投球は前田の持ち味となり、高卒ルーキーながら、二軍投手陣のなかで随一の存在感を誇った。チームの方針もあり一軍出場はなかったが、ウエスタン・リーグで、チーム最多となる103回2/3を投げ抜いた。

「チームからもファンからも信頼されるような、安定感のある投手になりたいです。どんな試合でも、あいつが投げるなら大丈夫、と言われるような。そういう存在がチームでエースと呼ばれるのだと思います。そのためには今はまだ体が細いし、しっかり体を作ってパワーをつけたいです。また、プロが決まった後にPLの以前の監督、河野さんに言われた『感謝に勝る能力なし』という言葉があるんです。周りの環境、自分を支えてくれた人、何事にも感謝してやるということ。この言葉は、プロでもずっと持ち続けてやっていきたいと思います」

 エースとはどういった存在か、前田は常にそれを意識しながら、大声援に包まれた一軍でのマウンドを見据え、ルーキーイヤーから確かな成長を刻み続けた。

 そして迎えた高卒2年目。エースナンバー「18」を受け継ぎ、一軍で9勝を挙げる活躍をみせブレイクを果たすと、その後前田はカープの絶対的エースとして君臨。15年オフにメジャーリーグへと移籍するまで、カープを支え続ける存在にまで成長していった。