石原慶幸とは監督時代のみならず、現役時代も投手としてバッテリーを組み共に戦った佐々岡真司監督。苦楽を共にした後輩捕手の引退を、現指揮官はどのような思いで見守っていたのだろうか? 現役時代の秘蔵エピソードと共に、石原との思い出を語ってもらった。

現役時代、石原慶幸選手とは6年間、チームメートとして共闘した佐々岡真司監督。2006年には石原選手とバッテリーを組み、チーム3位の8勝をマークした。

◆固かった石原自身の引退の決意

 2020年限りで現役を引退するという報告は、石原本人からシーズン中に電話でもらいました。試合中(8月27日・DeNA戦)にケガをしてしまいましたが、そこからの復活を期待しただけに、残念な気持ち、そして監督として責任も感じました。

 実際に電話をもらった時は「もう1年やってほしい」という率直な思いを伝えましたが、本人の意思はとても固かったことを覚えています。実際にその言葉を聞いた時に感じたのは、やはり“寂しさ”です。これまでさまざまな選手の引退を見てきましたし、自分自身引退というものを経験して思うのは、“自分の引退よりも何倍も人の引退の方が寂しい”ということです。

 これまで組んでいたK.ジョンソンが途中から會澤(翼)とバッテリーを組むようになってから、石原の出番は減りましたし、もちろんなかなか試合に出場できない中で本人にも悔しい思いは当然あったでしょう。

 ただ、彼の場合はベンチにいるだけで、チームを牽引できる選手です。それだけにまだまだやれるという思いもある一方で、長く現役を続けてきた選手ですし、本当にお疲れ様という思いを持っています。

 振り返ってみれば私はカープで18年間、40歳まで投げました。石原は19年間、しかも捕手という大変なポジションで、現役を続けたことは本当にすごいことだと思いますし、体の強さを感じさせます。

 

◆投げたい球を理解してくれた

 石原とは首脳陣と選手という間柄の前には、共にバッテリーを組んでいたチームメートでもありました。石原とバッテリーを組んだのは2006年、まさに私の現役生活晩年だった頃です。

 前年の2005年は1勝に終わった中で、石原とバッテリーを組むことで、自分の良さを引き出してくれた側面はあったと思います。自分が投げたい球を理解した上で出してくるサイン、そしてサインの出し方など、他の捕手がどうこうという話ではなく、相性の良さもあったのかもしれません。

 ちょうど10歳年齢が離れていますが、石原は良い意味で遠慮なく先輩に意見もしてくれましたし、僕自身そういう石原の思いに応えたいと思っていました。今だから話せますが、登板当日、別の捕手と組むことが決まっていたのに、私が直訴して石原と組ませてもらうように監督に頼んだこともありました。

 決してその捕手が嫌だというわけではなく、前の試合で石原とバッテリーを組んで良い投球ができていたので、その流れを切りたくなかったという個人的な思いがありました。その捕手からすれば、球場について自分がスタメンから外れていてびっくりしたのではないでしょうか(苦笑)。

 

Vol.2に続く