2012年の入団以来、カープの先発ローテーションの柱としてマウンドに上がり続ける野村祐輔。中継ぎを経験することなくデビュー戦から先発登板を重ねる中で、石原慶幸氏とは計79回バッテリーを形成した。最多勝を獲得した2016年には、石原氏と最優秀バッテリー賞も受賞。苦楽を共にした野村が抱く、石原氏への思いとは?

2016年、野村投手は16勝を挙げて最多勝を獲得。石原氏とのバッテリーで13勝を記録した。オフには共に最優秀バッテリー賞に輝いた。

◆僕はついていくだけでした

 石原さんとは、本当に多くバッテリーを組ませていただきましたし、思い出すことはたくさんありますね。最初に引退を知ったのは、選手全員が集まって、そこで石原さんが引退についてお話しされた時でした。まず『本当に寂しいな』というのが僕の素直な気持ちでした。

 引退試合、僕は故障離脱中でしたが、マツダスタジアムのロッカーで見させていただいていました。守備から途中出場されていましたが、『最後に石原さんとバッテリーを組んで投げたかった』というのが本音ですね。

 考えてみれば、最後にバッテリーを組ませていただいたのが2018年だったので。そういうこともあって、石原さんの引退試合、最後に自分の球を受けてもらいたかったな……と。そう思いながら見ていました。

 最後に全選手と握手する場面、「ケガを治して、しっかり頑張れよ」という言葉をかけていただきました。僕は「今までありがとうございました。お疲れ様でした」とお伝えしました。

 最初に石原さんとお会いしたのは2012年、僕が入団した直後の合同自主トレでした。大野練習場で石原さんが練習されていて、初対面でしたね。年齢で言うとちょうど10歳離れていますし、入団した頃は僕が22歳で石原さんが32歳……、なんて言うんですかね、すごく僕は子どもに見られているというか、そういう印象でしたね(苦笑)。

 今、僕自身も10歳下の選手に対してはそう思いますし、石原さんも僕に対してそんな風に思われていたんだなと思います。あとはオーラですよね。当時からカープの主力選手だったので、ベテランとしてのオーラみたいなものを感じていました。

 プロ入り当初、僕は倉(義和・一軍バッテリーコーチ)さん、白濱(裕太)さんとバッテリーを組む機会が多かったのですが、1年目の途中から石原さんとバッテリーを組ませていただく機会が増えていきました。ただ、ルーキーイヤーに関しては、投げることに精一杯でしたので、先輩のキャッチャーの方々に対して、当然僕自身が何かが変わるということはありませんでした。

 バッテリーを組む回数を重ねていく中で“メリハリ”ですかね。攻め方にしても、大胆にいくところ、丁寧にいくところとの変化がありましたね。投げる時にいつも思っていたのは、常にドシっと構えてくださっていて、僕はついていくだけでしたし、石原さんの出すサインに対して、首を振ることはあまりなかったと思いますし、しっかり納得して投げることができていました。