選手を猛練習で鍛え上げていくのが、カープ選手育成の伝統。球団史を振り返ると、栄光の裏には必ず厳しいキャンプの存在があった。選手として5度のリーグ優勝、3度の日本一を経験した、カープOBの山崎隆造氏に現役時代に経験した当時のキャンプの思い出とエピソードを語ってもらった(2021年2月掲載記事を再編集)

◆キャンプで一番に思い出すのは、1988年の秋季キャンプ

山本浩二氏が監督に就任して行われた秋季キャンプは歴史に残る厳しいキャンプとなった。

 私がカープに入団した頃は 今のように2月1日の春季キャンプからチームの全体練習が始まるのではなく、1月前半の自主トレからチームで集まって練習をしていました。この自主トレが、とにかくしんどくてしんどくて(苦笑)。オフ明け1月の自主トレは広島県総合グラウンドの野球場とトラックを使って、バンバン走り込まされたものです。

 自主トレなんてのは名前だけで、練習内容はキャンプそのものです。言わば日南キャンプに行く前の〝第一次広島キャンプ〟だと思っていました(苦笑)。こういったコーチの指導の下で行う自主トレは1990年代途中まで続いたはずです。今は12月と1月はオフ期間ですが、昔はオフも短かったですね。シーズンが終わって、少ししたらすぐにチームでの練習が始まっていました。

 当時のカープには山本浩二さん、衣笠祥雄さん、髙橋慶彦さんなど、そうそうたる野手のメンバーがいました。なかでも慶彦さんは練習の虫という表現がぴったりの人でした。コーチからどれだけ練習量を課されても、絶対にやり遂げていましたし、慶彦さんを見ていたら負けていられない、やらないといけないと感じたものです。私がスイッチヒッターの挑戦を始めた時は、慶彦さんを見習って、時間があればとにかくバットを振っていました。

 この頃の一軍監督は古葉竹識さんでした。古葉監督時代は、特に秋季キャンプが厳しかった思い出があります。ベテランになると秋のキャンプは免除されるので、若い頃は、早くベテランになりたいと思ったものです(笑)。現役を引退し、指導者になって感じたことですが、やはり秋季キャンプのほうが、春のキャンプに比べて、選手を追い込みやすいんです。シーズン終了後に行われる秋の猛練習は、カープの伝統として、今も継続されているように思います。

 その秋季キャンプで一番に思い出すのは、1988年のキャンプです。この年のシーズンオフ、山本浩二さんが監督に、大下剛史さんがヘッドコーチに就任され、2年連続で優勝を逃し3位に終わったチームの改革が、就任早々の秋季キャンプから行われました。このキャンプは思い出すのも嫌なほど、辛く厳しいものでした。

 朝早くから練習が始まり、アップとトレーニングだけで午前中が終わり、昼ご飯をかきこんで、午後からは実戦形式のチーム練習と個人個人の実技練習。宿舎での出来事を覚えていないほど、猛練習の日々が続きました。午前中は陸上部と勘違いされるほど、走って走っての繰り返し。もちろんベテランも若手も関係なく全員一緒のメニューでした。私も含めて多くの選手が、テーピングを巻いて走っていました。おそらくカープの歴史上、一番多くテーピングを使ったキャンプではないでしょうか。選手以上に大変だったのはトレーニングコーチです。選手の練習に付き添いながらマイクで球場全体に聞こえるように指示を出すのですが、その息遣いが常にしんどそうでしたから(苦笑)。

 もう一つ、キャンプの思い出話として記憶に残っているのは高代延博さんの言葉です。高代さんは秋季キャンプが始まる直前に日本ハムからトレードでカープに来られたのですが、広島に来る前に聞いていた厳しさとは遥かにレベルが違ったようで「練習が厳しいとは聞いていたけどなんやこれはぁ……」とよく言われていました(笑)。当時の高代さんは34歳。相当きつかったと思いますね。テーピングをグルグル巻いてミイラのような状態で練習されていました。(後編に続く)