背番号は時に選手の代名詞として語られるなど、アスリートにとって大きな意味を持つことも少なくない。ここではカープの選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

線は細いものの、入団当初から野村謙二郎元監督から高い評価を受けていた鈴木誠也選手。

◆前田智徳の前は捕手登録の江藤智

 今回は前田智徳も背負った背番号『51』のお話……デジャヴではないのでご安心を。前回の『31』に続いて、前田が『1』の前につけた背番号を取り上げる。

 前回も書いたように、1989年ドラフト4位で広島に入団した前田は背番号『51』でキャリアをスタートした。高卒ながら1年目からスタメン出場を経験し、翌1991年は1番センターで開幕スタメンを勝ち取った。

 後にカープを引っ張る実力は早くから発揮された。2年目のこの年、プロ第1号を先頭打者本塁打で飾り、129試合に出場するなどレギュラーに定着。外野手としては史上最年少でゴールデン・グラブ賞を受賞した。この年限りで背番号は『31』に変更されたが、2013年シーズン後に引退するまでに2000安打達成、通算打率が3割超えと、天才的なバットコントロールで低迷期のカープを支えた。

 前田が入団する前年に『51』をつけていたのが、江藤智だ。といっても1988年にドラフト5位指名を受けて入団し『51』を与えられるも、わずか1年で『33』に変更。なお内野手のイメージが強い江藤だが、1991年までは捕手で登録されており、1年だけ『51』をつけた1989年も捕手時代だ。1993年から4番に定着すると、1993年、1995年に本塁打王。1995年に打点王。ベストナイン7回など、球団史に残るスラッガーとして活躍した。

 これまで最も長くこの番号とともに過ごしたのは外野手の末永真史で、1999年のドラフト4位入団の彼は2000年のルーキーイヤーからユニホームを脱ぐまで、13シーズンにわたって『51』ひと筋だった。ただし、打撃面の評価が高く早くから将来を嘱望されていたものの、度重なるケガも相まって実力通りの活躍を見せることができなかったのは残念。キャリア後半は丸佳浩らの台頭もあり出場が限られ、2012年限りで戦力外通告を受けた。現在はカープの九州地区担当スカウトを務めている。