2011年の左膝への自打球が、その後の梵氏の野球人生に大きな影響を及ぼした。

 新人王を獲得するなどこれ以上ないスタートを切った梵氏だが、プロ2年目からは不振に苦しんだ。タイトルを取ったばかりに「自分はもっと高いところを目指さなければいけない」と思い込み、実力以上の目標を自身に課したことが大きな原因だった。

 自分を模索し続ける日々が続くなか、2009年には同じポジションの石井琢朗(現巨人野手総合コーチ)が加入した。加えて後ろからはルーキーの小窪哲也が頭角を現しつつあった。そんななか2009年の10月に野村謙二郎氏が監督に就任。長らく暗中模索の状態が続いていた梵氏にとって、駒澤大の大先輩の監督就任は大きな転機となった。

 秋季練習の第一クールを前にして、梵氏は突然監督室へと呼び出された。これまでと同じように「お前は二遊間だから、これまで以上にチームを引っ張っていかなければいけないぞ」と言われるのか、あるいは「プレーに覇気がない」と怒られるのか…。どんなことを話されるのか、緊張と不安のなか構えていたところ、野村監督の口から発せられた言葉は意外なものだった。

「ヨギ、お前は今のままでいいから。このまま一生懸命やれよ」

 しばらく監督とは話をしたが、この言葉が強烈すぎて残りの会話はほとんど覚えていない。それほど梵氏にとって“自分の性格を認めてくれた”この一言は強烈だった。「自分は自分のままでいいんだ」。数年間、目に前にモヤモヤとかかっていた霧を吹き飛ばすような言葉だった。

 一気に気持ちが軽くなった梵氏は、これまでとはまったく違う心持ちで2010年シーズンに臨んだ。結果、その年は全試合出場を果たし、初の打率3割(.306)を記録。盗塁王(43個)、当時球団2人目となるショートでのゴールデン・グラブ賞も獲得した。

 しかし、すべてが順風満帆にいかないのが梵氏の野球人生だ。完全復活を印象付けながら、翌年の6月29日に悪夢が襲う。左膝へ強烈な自打球を当ててしまい、これからというところで戦線を離脱。この左膝膝蓋骨骨挫傷が、その後のプレースタイルに大きな影響を及ぼすこととなった。

●梵 英心(そよぎ えいしん)
1980年10月11日生、広島県出身。三次高-駒澤大-日産自動車-広島(2006~2017年)-エイジェック(2018年~)。2005年大学生・社会人ドラフト3巡目でカープ入団。2006年に新人王を受賞。2010年には打率3割(.306)をクリアし、43個で盗塁王、ショートとしてゴールデン・グラブ賞にも輝いた。2013年には選手会長に就任。