1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 1980年代のカープ・投手王国を支えた川口和久氏。「プロに行けるのだろうか」と思い悩んでいた時に出会ったのが、当時カープでコーチを務めていた小林正之氏だった。「カープは必ず君を獲得する」。その約束の通り、ドラフト1位で指名を受けた川口氏は、ついに夢見たプロの世界に足を踏み入れることになる。

(『広島アスリートマガジン』2005年4月号掲載記事を再編集)(全8回/第3回)

現役時代は3度の最多奪三振タイトルを獲得した川口和久氏

◆「もう1年我慢すれば、プロに行ける」

 「俺の先輩が、広島カープのコーチをやっているんだ」。

 高校時代の監督の友人で、個人的にも親しかったスポーツ用品店の社長はこう言った。その社長の千葉商科大学での先輩がカープの小林正之コーチ(当時)だったのである。

 小林コーチが私の事を知っていると聞くと、社長は「その川口が野球を辞めようかと、今迷っています。できればプロに入りたいようなので、ちょっと見て欲しいのですが」と頼んでくれた。

 小林コーチから話を受けた古葉竹識監督は、「来年度のドラフト外で採用するから、あと1年余り我慢して野球を続けるように」と私にアドバイスを下さった。私は、「もう1年我慢すればプロに行けるんだ」と確信を持った。

 カープが「来年採用する」と言ってくれたことで、今まで苦痛だった営業の仕事も急に楽しくなり、商品も売れ始めてきたのである。そして野球でも社会人最後の1年間は、満足に練習ができなかった最初の2年間を帳消しにできた。

 四国での大会で、第1試合に登場した私は強豪の大倉工業(丸亀市)を2ー0と完封した。第2試合には石毛宏典さんなど有力選手がそろうプリンスホテル(東京都)が登場するため、プロのスカウトもこの球場に集まっていたが、直前の試合で私が完璧なピッチングをした事で、カープ以外の各球団のスカウトが「あの左腕は一体誰だ?」と急に騒ぎ始めた。

 それでカープとしては焦ったようで、小林コーチは宿舎の私に電話をかけてきた。