◆助っ人外国人の馴染みの背番号に

 2000年に菊地原から「49」を受け継いだのが、前年から来日していたディアス。1999年の来日初年は背番号「2」で110試合に出場。派手な成績ではないものの好守で働きを見せた。この年、本塁打を放つも一塁走者を追い抜いて取り消されてしまうという珍事の主人公にもなっている。

 「49」になってからの2001年にはほぼフルシーズン136試合に出場し、打率.304・32本塁打を放つなど打撃でも大きな成長を見せ、ベストナインも受賞する活躍。翌2002年も好調を継続したが、故障による失速もあり同年限りで退団した。

 2003年はハーストとランドクィストの2人が着けたが、ともに1年で退団。2004年にはこの背番号では6人目の外国人選手となるベイルが背負った。初年に11勝を挙げるなど活躍したが、2006年に故障もあって戦力外通告を受け、退団。2010年に復帰(背番号は「94」)したものの以前のような投球は見せられず、1年限りに終わっている。

◆「49」を託された広島出身のスラッガー

 2008年、「69」から変更したのが外野手の天谷宗一郎だ。2002年に入団してしばらくは実力を蓄える時期が続いていたが、「投手のベイルが着けていた番号だったから」ということで「49」に変えた2008年からいきなりブレイク。ブラウン監督に見込まれて開幕スタメン入りすると攻守に活躍。2013年以降は出場試合数も減り、2018年に現役を引退した。

 そして現在、この「49」を背負うのが正隨優弥。大阪桐蔭高校で甲子園優勝を経験し、亜細亜大学を経てドラフト6位で入団。2020年9月に代打で一軍デビューし、同月にはやはり代打で初本塁打も記録している。今季はウエスタン・リーグで好調な打撃を見せて5月に一軍昇格も、ほどなく新型コロナウイルス陽性判定を受けた。復帰した今、その分も取り戻す活躍が期待されている。

 最長記録(11年)の天谷以来、現在の正隨までは途切れることなく続いている「49」。冒頭では「4」や「9」のジンクスにも触れたが、実は「49」という数は、ラッキーセブン「7」の2乗でもある。正隨をはじめこれからの持ち主の活躍によって、「49」という数字のイメージもガラリと変わるかもしれない。

【背番号『49』を背負った主なカープ選手】
菊地原毅(投手/1994年-1999年)
エディ・ディアス(内野手/2000年-2002年)
ジョン・ベイル(投手/2004年-2006年)
天谷宗一郎(外野手/2008年-2018年)
正隨優弥 (外野手/2019年-)
※初めて背番号を付けたシーズンのポジションを表記。