試合を勝利で飾り、ベンチ前で現監督の佐々岡真司を迎え入れる三村監督

今でも心残りなのは、三村監督を胴上げできなかったこと

 当時30代後半だったこともあり不安がありましたが、いつも三村さんは「大丈夫だから」と声をかけてくれましたし、投球フォームをノーワインドアップに変更して先発として白星がつき始めると、「勝てるじゃないか」と私の気分を乗せてくれることもありました。

 私を先発に戻すという判断は、当時周囲からの反対も当然あったと思います。その意見を押し切るという決断は難しい面があったと思いますが、最終的に三村さんは自分の信念を突き通されました。結果的に97年には球界最年長で最優秀防御率のタイトルを獲ることができましたし、先発として中6日で調整することで選手寿命が伸びました。

 そしてストッパーに回った佐々岡は体力もあり、連投が効くだけに数々の勝利に貢献することになりましたし、すべて三村さんの読み通りとなりました。ベテランとなり、引退が迫っていた私のような投手をしっかり見ていただいて本当にありがたかったですし、愛情を感じました。

 一方で先発として終盤まで好投していたにも関わらず交代させられ、私も納得いかないということもありました。ですが、それも三村監督が先を読んだ上での作戦であり、勝負所になれば、シビアな采配を振るう監督でもありました。

 当時、チームは毎年優勝争いを演じるなど決して弱くなかった時代ですが、最大のチャンスであった96年は後半戦、巨人に大逆転されてしまいました。私はプロ入りして以来、それまで古葉監督、阿南監督、山本監督を胴上げしていただけに、選手時代から大変お世話になっていた三村監督を胴上げできなかったことは今でも心残りです。

 三村監督としては98年が最後のシーズンになりましたが、同時に私も現役最終年となりました。この年、私は開幕投手を務めたのですが、告げられたのは前年のオフでした。当時私は42歳になっていましたし、1年投げきれるか分からない状況でした。なので「僕を開幕投手にするようならカープは優勝できません。もっと若くて勢いのある投手を開幕投手にするべきです」と伝えて断りました。