◆サンフレッチェの歴史を語る上で欠かせないストライカー

 そして2005年から、サンフレッチェの歴史を語る上で欠かせない男が、背番号11をつける。FW佐藤寿人だ。

 ジェフユナイテッド市原、セレッソ大阪を経て、ベガルタ仙台で大活躍して評価を高めていた佐藤を、サンフレッチェは1億6000万円とされる移籍金を払って獲得した。当時、強化部長を務めていた織田秀和氏(現ロアッソ熊本ゼネラルマネジャー)が「日本人選手を獲得するための移籍金としてはクラブ史上最高額」と証言する、クラブにとっても大きな決断を経ての加入だった。

 佐藤が仙台時代から11番をつけていたのは、カズ=三浦知良へのあこがれから。高校を中退してブラジルに渡って現地でプロとなり、1990年に帰国してJリーグと日本サッカー界を代表するスーパースターとなったカズは、ブラジルでは左ウイングでプレーしており、11番をつけていた。帰国後に日本代表で得点力を期待されたのを機に、徐々にストライカーとしてプレーすることになるのだが、背番号は54歳となった現在も11をつけている。

 ちなみに佐藤はサンフレッチェ加入時、最初は別の背番号を強化部から打診されていたという。その番号になっていたら、その後の本人とクラブの歴史も変わっていたかもしれない。

 これについては9月25日発売の広島アスリートマガジン10月号から始まる新連載『ー広島と共に戦った12年間ー』で、本人が詳しく振り返っているので、ぜひご覧になっていただきたい。

 11番のストライカー・佐藤のサンフレッチェでの足跡は、あらためて振り返るまでもない。一度はJ2に降格したものの、残留して1年でのJ1復帰に貢献。2012年はサンフレッチェをJ1初優勝に導き、MVP、得点王など個人賞も総なめにした。2013年のJ1連覇、2015年の3回目の優勝&クラブW杯3位という黄金時代は、佐藤が決めた数々のゴールがあったからこそ。

 2016年シーズンを最後に佐藤が移籍で退団した後、11番をつけた選手はいない。誰かがつけることになったとしても、期待の大きさゆえに向けられる視線は厳しく、その選手にかかる重圧も大きいだろう。簡単には後継者が見つからないと思われるのは、それだけ佐藤がサンフレッチェにもたらしたものが大きいことを示している。