お笑い芸人として活躍中のザ・ギース尾関高文氏の本連載。これまでカープに在籍した歴代外国人選手を、時には厳しく、時には優しく、時にはユーモアを交えながら、尾関氏ならではの視点で紹介していきます。今回は、1999年から2002年にカープに在籍。ユーティリティプレイヤーとして注目を浴び、記録にも記憶にも残るプレーが数多いエディ・ディアス選手を取り上げます。

◆3割30本塁打を記録した助っ人

 ディアスが大好きでした。あのずんぐりむっくりとした体型。そこそこうまい内野の守備。来日3年目で謎の開眼をした打撃。なんともいえない丸メガネ。全てが愛らしく魅力的で、カープファンの記憶に強く残るディアス。

 ディアスが青春の助っ人外国人だった人も多いのではないでしょうか。当時の写真を見るたびに、あのカープの大変な時代を、そして将来牧場を経営したいと話すディアスの笑顔を思い出さずにはいられません。

 ディアスが来日したのは1999年。達川光男監督初年度のこと。堅実なバッティングと守備をかわれカープへやってきました。

 すぐに、ケガの江藤選手や野村選手に変わり内野で出場を続け、見事穴埋めをしてくれました。1年目は2割6分、8本塁打でギリギリ2年目につなげます。2000年も同じような数字となるディアスは、同僚のカンバーランドと共に「がんばーらんと」(達川さんの当時一押しのカンバーランドダジャレ)いけない立場となってしまいます。

 そして運命の3年目。あの西武アレックス・カブレラから同郷のよしみでアドバイスを受け見事打撃が花開くのです。シーズン開幕から本塁打を打ちまくり、5月には金本・ロペス・ディアスの3者連続本塁打。7月には1試合3本塁打を放つなど、この年3割30本塁打を記録します。この時のロペス&ディアスの助っ人コンビは圧巻でした。本当に頼りになる助っ人でした(ちなみにほんとにがんばーらんといけなかったカンバーランドは1軍で1試合に投げ、その後すぐ2軍へ。そこで1試合4ボークの記録を作り5月に自由契約となりました)。

◆ランナー追い抜かし事件

 ディアスの思い出で、1番最初に出てくるのは『新井さん追い抜かし事件』でしょう。ディアスが、一塁に新井さんがいる場面で本塁打を打つのですが、走者の新井さんは外野フライかと思い一塁に戻ってしまい、それを打者のディアスが追い抜かすという“珍プレー中の珍プレー”が、一、二塁間の間で起こってしまいました。結局本塁打は取り消しに…。ディアスの絶望の表情が忘られません。

 そんなアクシデント!?もありましたが、基本は笑顔を絶やさないディアス。チームを盛り上げるムードメーカーでもありました。日本でお金をためて将来はベネズエラで牧場を開くんだと、チームメイトに目をキラキラさせて話すディアス。ベンチの中で牛の配合に関する本も読んでいたと当時の記者さんから聞いたこともありました。歴代のカープの助っ人の中で、ベンチで科学書を読んだのはディアスとホプキンス(医学書)だけでしょう(その後ディアスは故郷で牧場経営の夢を叶えたそうですが、離婚して奥さんに、牛を全て持っていかれたとかいかれなかったとか……)。

◆現在のディアス

 2002年までカープに在籍し、その後はメキシコリーグ、ベネズエラリーグと渡り歩き、現役生活を終えたディアス。牧場経営はさておき、在籍していたベネズエラの野球チームに殿堂入りをするなど現在も祖国で野球に携さわっているそうです。お元気だと良いですね。

 こうしてみると群を抜いた活躍は1年だけではありましたが、それ以上の活躍のイメージがあるディアス。またいつか、ディアスのような味わい深い助っ人がカープに来てくれることを願います。

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ザ・ギース 尾関高文(おぜきたかふみ)
広島県東広島市西条町出身のお笑い芸人、熱狂的なカープファン。好きな歴代カープ選手はロビンソン・チェコ投手。 2012年に出演したアメトーーク「広島カープ芸人」で、「カープ OB の北別府さんはブログのコメントに全て返信する」と語り、北別府氏のブログを炎上させた経験を持つ。

[尾関高文公式Twitter]@geeseojeck