1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 プロ22年目の1998年。中継ぎとして帯同した巨人戦で、大野豊氏は当時ルーキーの高橋由伸氏と運命の対決を迎える。この年、引退を発表した大野氏は引退試合を勝利で締めくくり、カープ一筋の野球人生に幕を下ろした。解説者、カープコーチ、日本代表コーチなど各方面からいまも日本野球界に貢献する大野氏が、改めてカープへの思いを語った。

(『広島アスリートマガジン』2005年3月号掲載記事を再編集)(全9回/最終回)

『カープレジェンドゲーム2025』で、現役時代と変わらない投球フォームを披露した大野豊氏

◆真剣勝負で完全に負けた。もう投げることはない

 1998年、首脳陣の要望で中継ぎとして一軍に帯同することになった私は、自分のボールが戻らないながらも復帰して3試合に登板した。

 そして復帰4試合目の8月4日、東京ドームでの巨人戦で2点リードの8回裏、2アウト一、三塁で私は先発佐々岡真司に代わってワンポイントで登板した私は、東京六大学リーグの通算本塁打記録を更新した、大型新人・高橋由伸との初対決を迎える。

 私は原辰徳や松井秀喜同様、鳴り物入りでデビューした新人には特に激しい闘争心を燃やして臨んだが、2球目のスライダーを完璧に捕らえられてバックスクリーンに運ばれる特大の逆転3ラン。

 いつもなら悔しさで一杯になるところだが、この時は「真剣勝負で完全に負けた。これでもう投げることはないだろう」という、妙に清々しい気持ちだった。

 実を言うと高橋との対決以前に一軍に復帰した時点で、今年で引退する決意は固めていた。引退する区切りをどこかでつけようとしていたのかも知れない。

 球団は私に対して9月27日、地元広島市民球場での横浜戦で引退試合という舞台を用意してくれた。しかし私は高橋に打たれた翌日から腕、肩、腰など体中のあちこちが痛くなっており、引退試合1週間前になってやっと投球練習を始めた。

 当日もブルペンでは全く調子が上がらない。しかし3ー1とリードしたまま8回表、私に出番の声がかかった。「打者一人でいいから」と三村監督には言われていたが、「勝ちゲームでもし打たれたらどうしよう」と正直思った。

 ところが「ピッチャー、大野」の場内アナウンスの瞬間から、満員のスタンドは大歓声に包まれた。

 リリーフカーでマウンドまで向かう途中にファンからの「オオノ、オオノ」という大声援を受けながらマウンドに上る事で、眠ったはずの投手としての闘争本能が甦ってきたのだ。