なんというか−−だんだんサッカー不在、プロ野球不在のこの状態自体が新たな日常になりつつあるのである。まるでサンフレッチェ広島なんていうクラブなど最初からなかったかのように、試合のある日に広島駅周辺が真っ赤に染まっていた風景は夢で見たのかと思うほどに、今はすべてが遠く感じられる。人というのは新たな環境に適応するようにできている生き物なのか、たとえば引越すると以前住んでいた町のことをすっかり忘れてしまったり、新しい建物が建つと以前そこに何があったのか思い出せないように、簡単に記憶が上書きされてしまう性質があるようだ。あんなに夢中だったサッカーや、あんなに生活の一部だったプロ野球が、目の前の非常事態に押し潰されて次第に存在感を薄めつつある。赤や紫が乱舞する日常に変わって、今は薬局前の長蛇の列が新しい日常となっている。通りをUberEatsの自転車が走り回る光景が日常になっている。テレビでキャスターとコメンテーターが離れて座る位置取りが日常になっている。「今日みんなでメシ行かない?」なんて誘い文句がNGなのが日常になっている。1カ月半前はまったく違っていたはずなのに……早く日常が戻ってほしいのは山々だが、オンラインが常態となった世の中で、私たちがかつて楽しんでいた“かつての日常”はちゃんと戻ってくるのだろうか?

 現状Jの各クラブは今回の一件で経営上の危機にさらされているが(中国新聞によるとサンフレッチェも数億円の減収になるという)、同時にクラブの存在を忘れられないため必死の戦いを続けている。サンフレッチェも公式YouTubeを使って選手からの宿題やトレーニング映像を流しているが、再生回数を見るとうまくいっているとは言い難い。悩ましいところだ。

 もちろんコロナが収まればすべて元に戻る、という見方もある。またサッカーのある日々が日常になればみんな帰ってくる、それまでの辛抱だ、と。しかし個人的に恋と熱狂は一度醒めてしまうと再点火は難しいのでは、という想いもある。「あの人がいないと私、ダメなの!」と思っていた女子がフトしたきっかけで冷静になる。「なんだ、別にアイツがいなくてもやっていけるじゃん」−−そうなってしまうのが怖いのだ(実体験)。

 さっき湯崎知事が会見を行い、広島に外出自粛要請が出た。このコラムが出る頃、状況がどうなっているか誰にも分からない。