『10』に代表されるように、サッカー界においてもたびたび話題として取り上げられるのが、各選手の背負う背番号だ。ここではサンフレッチェ広島の選手に特化し、時代を彩った名選手の足跡を背番号と共に振り返る。

サンフレッチェユースを経て、2006〜2010年まで背番号『5』を背負った槙野智章(現・ヴィッセル神戸)。

◆鋭いセンタリングで佐藤寿人をアシスト。名DFも背負った背番号

 今回紹介する『5』は、1993年のJリーグ創設当初の、いわゆる変動背番号制(試合ごとに先発11人が『1』から『11』、控えの5人が『12』から『16』までをつける)の時代からある番号。1993年5月16日、ジェフユナイテッド市原とのJリーグ開幕戦で5番をつけていたのは、DF片野坂知宏だった。

 片野坂は鹿児島実高(鹿児島)から1990年に前身のマツダSCに加入し、左サイドバックのレギュラーとして開幕を迎えた。この連載の第1回で紹介している、開始1分で決まったMF風間八宏のクラブJリーグ初ゴール(Jリーグ全体でも日本人選手初ゴール)は、片野坂の左からのセンタリングを右足で合わせたもの。Jリーグではアシストを公式記録として残していないものの、クラブ初アシストを記録した選手だ。

 現役引退後は指導者となり、2010年から2013年はサンフレッチェでコーチを務めた。2022年からはガンバ大阪で監督を務め、サンフレッチェともしのぎを削ることになる。

 固定背番号制になった1997年から4年間は、DF伊藤哲也が5番をつけた。前所属の横浜マリノスではDFに日本代表の井原正巳と小村徳男がいたため、出場機会に恵まれなかったが、サンフレッチェでは3バックの一角に定着。持ち味のスピードを生かした的確なカバーリングなどで貢献した。

 2001年からはDF駒野友一が背番号5を受け継いだ。連載第1回と第2回で紹介した森﨑和幸&浩司と同い年で、ともにサンフレッチェのユースから2000年にトップチームに昇格。5番をつけた2001年から右サイドのレギュラーとなった。

 右足だけでなく、左足でも正確なキックができるのが武器で、鋭いセンタリングでチャンスを作った。特に2005年に加入したFW佐藤寿人とのコンビネーションは抜群で、サンフレッチェ加入後初得点など、多くの得点をアシストしている。

 年代別代表でも活躍し、2001年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)、2004年アテネ・オリンピック、2006年と2010年のワールドカップに出場した。40歳となった現在もJ3リーグのFC今治で現役を続けており、息の長い活躍を続けている。