◆骨折に屈せず連続試合出場記録を継続 衣笠祥雄

死球を受け左肩甲骨を骨折した衣笠。しかし不屈の闘志で連続試合出場記録を継続した。

【1979年成績】
130試合 410打数 114安打 打率.278  20本塁打 57打点 15盗塁

 衣笠にとって1979年は試練の年となった。開幕直後から極度の打撃不振に陥り、5月28日にスタメン落ち。連続フルイニング出場記録まであと22試合というところで記録が潰えてしまった。すぐに復調したものの、8月1日の巨人戦で西本聖から死球を受け骨折。1122試合で連続試合出場記録も途絶えることが懸念されたが、翌日も代打として出場しフルスイングの三球三振で周囲を驚かせた。鉄人の異名に相応しいエピソードだ。

◆走攻守すべてで覚醒。不動のリードオフマンに 髙橋慶彦

俊足巧打の1番として、赤ヘル機動力野球の申し子の異名を取った髙橋慶彦。

【1979年成績】
120試合 490打数 149安打 打率.304  5本塁打 33打点 55盗塁

 前年に3割をマークしレギュラーに定着した入団5年目の髙橋が、この年もリードオフマンとしてチームを牽引した。特筆すべきは6月6日からオールスター戦を挟んで7月31日までの間に記録した、33試合連続安打の日本記録(現在も1位)。この期間の打率は4割1分で、5位や6位に低迷していたカープを急浮上させる起爆剤となった。持ち味の俊足も存分に発揮し、55個で初の盗塁王を獲得。日本シリーズでは打率.444を記録しMVPに輝いた。