2025年シーズンに大きく飛躍した選手のひとり、中村奨成。ドラフト1位で入団し大きな期待をかけられながらももがく日々が続いていた中村奨は、昨季、キャリアハイの数字を残す活躍を見せた。「声をかけるタイミングを見計らっていた」と話すのは、二軍打撃兼走塁コーチを務めてきた福地寿樹コーチだ。一軍で輝きを放った中村奨への思い、その飛躍の舞台裏を福地コーチが明かす。(全2回/第2回)

大野練習場で若手選手たちの育成にあたってきた福地コーチ(写真は2025年撮影)

奨成が「後がない」と口にした時、フォーム変更の提案を決めた

 技術面では、打撃フォームの改造に着手しました。ただこれは打撃のメカニズムをガラッと変えることになりますから、本人が納得しなければなりません。1、2年をかけ、切り出すタイミングには注意しながら探っていました。

 そして2025年の春、オープン戦でも打てず、同じような凡打を繰り返す姿と彼の表情を見て、『このままでは見切られるかもしれない』と感じ、彼と話をすることに決めました。確か二軍の遠征先の、オリックスの施設だったと思います。全体練習の前に「早めにティーバッティングをやろう」と声をかけ、2人だけで話をするなかで打撃フォームの変更を提案しました。 「変えるともう戻れないぞ。その覚悟はあるか?」と聞くと、「打てるなら何でもやります」と言うのです。その時、今の奨成ならきっと飲み込んでくれるだろうと感じました。

 もちろん、そこに行き着くまでは本当にさまざまなことがありました。『やっと』という思いもありました。コーチは誰でも、彼ら選手の人生を華やかにしたいと思っていますし、一軍で結果を残してファンのみなさんに応援してもらいたいと思っています。

 だからこそ、奨成があれだけ活躍したことは本当にうれしかったですし、それ以上に、彼が『続けてくれた』こともうれしかったですね。もしかするとすぐにフォームを戻してしまうかもしれない……という懸念もありましたから、常に映像を確認しながら『変えるなよ、変えるなよ』と思っていました。

 具体的には『打ち返す』ことに特化し、削る部分を削ってスタイルを変更しました。バットの芯は、実は先端からボール2個分、あるいは1個半程度しかありません。その狭いところにミートさせなければならないので、少し詰まると球が飛ばなかったり、痛みを感じてしまいます。奨成の今の打ち方は、力感がなくなる打ち方です。力んで強く振らなくてもしっかりと飛びます。ただ、それを続けるには『強く打ちたい』という気持ちを我慢しなければなりません

 さらにバットの軌道も意識して変えるようにしました。彼は頭の上でバットを構えていましたが、それでは150キロ前後の速球が来ると、捉えたと思った瞬間には遅く、ポップフライになってしまいます。それを修正するために、バットの構え方も変えました。足の使い方も変化させました。彼は左足が投手に対してクロス気味に踏み込んでいたのですが、それではどうしても窮屈になってしまいます。そこで、左足を投手に対してオープンにするようにしました。すると体の前面にスペースができ、楽にバットを振り出すことができるようになります。

 ただ、どれもいままでのフォームとは違うのですから、違和感もあったはずです。そこを我慢して貫いてくれました。今年成績が残せたのは、彼が我慢をし、貫いた結果だと思います。

 プロ野球選手は、ファンの期待に応えなければなりません。期待に応えることができたら、次はファンの願望を叶えなければならない。願望というのは、例えば『打率何割以上だ』、『タイトルだ』、『ホームラン何本だ』というものですね。ただ奨成には、まずは謙虚にいきながら、数字も残せる選手として活躍してもらいたいと思っています。

 プロに入って8年目、彼は『間に合った』のだと思います。

 来年は他球団からも研究され、マークが厳しくなることは間違いありません。なにしろ、これまでほとんどマークされていなかったはずですからね(笑)。あとはここで足踏みをせず、突き進むだけです。そんな奨成を、私たちも全力でサポートしていきたいと思っています。

■福地寿樹(ふくち・かずき)
1975年12月17日生、佐賀県出身
杵島商-広島(1993年ドラフト4位)-西武(2006-2007)-ヤクルト(2008-2012年引退)
カープ時代は俊足を活かし、2000年から4年連続二桁盗塁をマークするなど足のスペシャリストとして活躍。ヤクルト時代には2年連続盗塁王を獲得した。2012年限りで現役引退後は2021年までヤクルトでコーチを務め、2023年に二軍打撃兼走塁コーチとしてカープに復帰。2026年シーズンより一軍打撃チーフに就任することが発表されている。