2年生秋に新チームになって僕は主将に指名されました。

 主将になったとき「まずは自分がしっかりしないといけない」と思いました。ですので自分に厳しく、チームメートに対しても厳しかったかもしれません。主将になったことで意識が変わりましたし、真剣だからこそ同級生と衝突することもありました。この時期は大人になろうとする思春期で多感な時ですから、熱くなるときもありましたが、今となっては良い思い出です。

 新チームになって自分たちの代での、優勝候補は同学年の二岡智宏(元巨人など)、福原忍(元阪神)がいた広陵です。甲子園でも優勝するのでは? と言われるほどの評価でした。

 高校時代、個人的に一番印象に残っているのが、最後の夏の3回戦でその広陵と対戦した試合です。実は頻繁に練習試合をしたこともなく、僕にとっては最初で最後の対戦であり、高校時代の試合ではハイライトですね。 試合前から『100%広陵が勝つだろう』という雰囲気でしたし、それを僕たちも感じていました。でも僕たちは勝手に盛り上がっていて、「よし! やったるで!」と意気揚々でした。すごくモチベーションが上がっていただけに、緊張感もなく「勝って周りを驚かしてやる!」と思っていました。結果的に4対3で勝てましたが、その瞬間はもちろんうれしかったですし、少しだけ、甲子園がチラつきましたよね(笑)。あの広陵に勝ったわけですから。

 その後は4回戦で西条農業と対戦して4対5で負けてしまい、ここで僕の高校野球生活は終わりました。負けた瞬間「これで本当に終わってしまうのか」と信じたくない気持ちでしたし、チームメートはみんな泣いていました。ですが自分は主将だったので、「泣いちゃダメだ!」と我慢していました。試合後、県工に帰って最後のミーティングをしたんですが、そこで僕が挨拶をするときに、耐えきれずに泣いてしまいました。

 3年間の思い出が走馬灯のように思い出され、この仲間ともう野球ができないのかと思うと、涙を堪えることはできなかったですね。

 高校野球は一生に一度の経験ですが、一番得たものを挙げるならば、やっぱり仲間です。

 苦しい練習をともに乗り切った仲間は特別な存在ですし、コロナ禍になる前までは毎年みんなで集まっていました。一生の友達ですよね。

=中編に続く=

新井貴浩(あらい・たかひろ)◎1977年1月30日生、広島県出身
1992年に広島工業に入学。
2年秋から主将となり、3年夏の広島大会はベスト16。高校卒業後は駒澤大でプレーし、1998年ドラフト6位でカープに入団。2005年に本塁打王に輝くと、不動の4番として活躍。2007年オフに阪神に移籍し、2015年にカープに復帰。2016年には2000安打を達成し、25年ぶりの優勝に貢献。MVPにも輝いた。翌年からも勝負強い打撃で3連覇に貢献し、2018年限りで現役引退。現在はプロ野球解説者として活躍中。