10月20日に開催される、『2022年プロ野球ドラフト会議』。各球団スカウトの情報収集の集大成であり、プロ入りを目指すアマチュア選手たちにとっては、運命の分かれ道ともなる1日だ。

 カープはこれまで、数々の名スカウトたちが独自の “眼力” で多くの逸材を発掘してきた。ここでは、カープのスカウトとして長年活躍してきた、故・備前喜夫氏が語るレジェンド獲得ストーリー『コイが生まれた日』(2003年当時)を再編集して掲載。

 今回は、捕手としてカープ一筋19年にわたり活躍し、黒田博樹、クリス・ジョンソンら多くの投手を勝利に導いた名捕手・石原慶幸氏の入団秘話をお送りする。

◆約1.8秒で二塁に送球する『強肩』に驚き

2016年には25年ぶりの優勝に貢献。現在は野球解説者としても活躍する石原慶幸氏。

 1997年ドラフト5位の倉義和(京都産業大、現・一軍バッテリーコーチ)、1999年ドラフト2位の木村一喜(日本通運)に続く捕手として、2001年にドラフト4巡目で指名したのが東北福祉大の石原慶幸です。石原は県立岐阜商高から東北福祉大に入学し、2年生からレギュラーとして活躍するようになり、3年生になった2000年には、全日本大学野球選手権でチームの準優勝に大きく貢献しました。

 私が彼を初めて見たのは、ちょうどこの全日本選手権だったことを覚えています。そのときの印象ですが、非常に肩が強く、バッティングもパンチ力があり『打てる捕手』だと思いました。

 肩の強さは、これまで倉や木村一喜を見てきましたが、二人よりも強い肩をしていたのではないでしょうか。私たちプロのスカウトが捕手を見て言う、『肩が強い』とは、一塁走者が盗塁を試みたときの二塁送球のスピードを目安にしています。その中でも『強肩』と形容できるのはプロやアマチュアに関係なく1秒台、高校生ならば2.03秒くらいが及第点とされています。

 当時の石原は約1.8秒で二塁へ送球していましたから、かなりの『強肩』と言えるでしょう。また、スローイングのコントロールも良く、多くの走者を一塁へ釘付けにしていたこともよく覚えています。

 バッティングも大学通算で471打数148安打、47本塁打、打率3割1分8厘という成績を残しており、攻守に素晴らしい能力を備えた捕手だと思いました。

 レギュラーをつかんだ大学2年のときから日米大学野球に出場し、3年のときには一学年上の阿部慎之助(中央大、元・巨人一軍作戦兼ディフェンスチーフコーチ)を押しのけて正捕手として5試合中3試合にマスクを被り、バッティングでも7打数3安打と攻守にわたって日本の2勝に貢献しました。私が見た限りでは、当時は阿部よりも石原の方が、スローイング、キャッチング、リード、ワンバウンドの処理など守備力が上回っていたように思います。

 また、同じ年にはシドニーオリンピック日本代表候補に選ばれたこともあります。そういうことをふまえると、彼が『大学No.1捕手』と呼ばれ、各チームのスカウトから『将来の正捕手』という言葉が飛び出すのもうなずけました。

 このように素晴らしい捕手ですから、ドラフト会議では当然他球団が上位で指名すると考えていました。しかし、東北・北海道地区担当の近藤スカウトが何度も東北福祉大学に足を運び熱心に勧誘したこともあり、他球団からの指名はなく、私たちが4巡目で指名することができました。

 私が初めて石原に会ったときの印象ですが、あまり多くを語らず非常に大人しくまじめな選手だなと思いました。ただ、内に秘めている強い気持ちや捕手としての雰囲気を感じ取ることもできました。

【備前喜夫】
1933年10月9日生〜2015年9月7日。
広島県出身。
旧姓は太田垣。尾道西高から1952年にカープ入団。長谷川良平と投手陣の両輪として活躍。チーム創設期を支え現役時代は通算115勝を挙げた。1962年に現役引退後、カープのコーチ、二軍監督としてチームに貢献。スカウトとしては25年間活動し、1987〜2002年はチーフスカウトを務めた。野村謙二郎、前田智徳、佐々岡真司、金本知憲、黒田博樹などのレジェンドたちの獲得にチーフスカウトとして関わった。

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