カープ一筋で19年間プレーし、多くのファンに愛された石原慶幸氏。黒田博樹、前田健太、K・ジョンソンらとバッテリーを組み、3連覇を支えた“扇の要”だ。現役引退後、プロ野球解説者としても活躍してきた石原氏は、来季からカープ一軍バッテリーコーチへの就任が発表されている。

 アスリートマガジンでは、これまで、石原選手(当時)の独占インタビューを掲載してきた。ここでは、2021年2月号『永久保存版 石原慶幸引退特集号』より、厳選インタビューの一部を再編集して掲載する。

 今回は、次世代の扇の要として期待され入団し、プロ2年目を迎えた石原慶幸のインタビィーを再録。 長年カープの本塁を守り抜いてきた西山秀二に代わり、116試合への出場を成し遂げた石原が語った、無我夢中で戦った躍進のシーズンへの思いとは。

カープ一筋で19年間プレーした石原慶幸。2023年からは一軍バッテリーコーチ就任が発表されている。

◆好きな言葉は“一生懸命”。毎日続く必死の努力

─今年は2年目のシーズンでした。石原選手が入団した2002年のドラフトで、広島は石原選手と山本翔選手(東筑高、2002〜2010年に在籍)の捕手を2人指名しました。特に石原選手は即戦力との評価を受けての入団です。期待の大きさは感じていましたか?  

「そうですね。もちろん、期待に応えたいと思って入団したんですけど、そんな簡単にはいかなくて、1年目は全然ダメでした……」

─1年目は主にファームで活躍。一軍での出場機会は終盤の5試合にとどまりました。やはり、プロの壁は厚かったですか?  

「いや、特に……。なんて言ったらいいですかね、球のスピードやキレはもちろん違うんですけど、想像を超える世界ではなかったです。でも、初打席はガチガチで、自分でもはっきりと覚えていないくらい……それほど緊張してました」

─高校3年の夏、県立岐阜商高で甲子園に出場。その時からプロのスカウトが注目していたと聞きます。プロはいつ頃から意識されていたのですか?

「本当にもう、まさか自分が入れるとは思ってもいませんでした。プロを意識し始めたのは、ほんとドラフト直前になってからです」

─それは意外でした。卒業後は東北福祉大に進学。大学日本代表に選ばれ、五輪代表候補に名を連ねていたほどです。野球エリートのような人生を想像していたのですが。

「いえ、そういうのは全然なかったです。東北福祉大に進学したのも、東京六大学や東都など関東のリーグに行けるだけの力がなかったからです」

─2つ上に現在横浜で活躍している吉見祐治(元・横浜、ロッテなど)投手がいらっしゃいます。もちろん金本知憲選手(元・阪神)や佐々木主浩投手(元・マリナーズ)など、プロで活躍された選手が東北福祉大からたくさん誕生しました。プロを身近に意識できる環境にいたと思うのですが。

「入りたいとは思ってやってました。ただ4年生になってそういう話が来るまでは、本気で意識してなかったです」

─性格が謙虚、もしくは自己分析が厳しいのでは?

「そういうんじゃないんですよ。ほんと、全ての点でプロでやっていけるか不安でしたし……」