1975年の初優勝以来、カープ黄金期を築いたレジェンドOBたち。往年の名選手がカープへの熱い思いを語った『広島アスリートマガジン』連載記事を再掲載する。

 現役時代、速球を武器にカープの投手王国を支えた川口和久氏。念願叶ってプロ入りを果たした川口氏は二軍で技を磨き、プロ2年目の1982年に初勝利をあげる。その活躍の裏には、かつてのカープ守護神のアドバイスと川口氏のあくなき探究心があった。

(『広島アスリートマガジン』2005年4月号掲載記事を再編集)(全8回/第4回)

2025年、マツダ スタジアムで開催された『CARP LEGEND GAME 2025』に登場した川口氏

◆プロ野球人生の土台となった二軍での1年間

 私はルーキーで開幕一軍入りするも、6月下旬に二軍行きを告げられた。ただその時、私は正直言ってホッとした。ボールのばらつきと体力的な弱さを自分でも感じていたので、「みっちり鍛えて、将来一軍で活躍する下地をつくらないとダメだ」と素直に思ったのだ。

 私は6月末から1982年の7月8日までの約1年以上を二軍で過ごす事となった。 しかし私にとってこの1年間は、18年間にわたってプロ野球選手を続ける上での土台づくりができた、非常に意味があった時間だった。

 高校や社会人時代まで走ることは嫌いだったが、ビジネスである以上やらなければならない。

 1年目の年俸は360万円で、月給にすると30万円。8、9万円だった社会人時代では考えられない額であるし、『やればもっともらえるんだ』と思えば『練習しなきゃ、走らなきゃ』と素直に思えるようになった。

 23歳の誕生日となる1982年7月8日、私は1年ぶりに一軍に昇格した。

 昇格した直接のきっかけは、ローテーション投手だった福士敬章さんがギックリ腰になって「先発投手の枠が一つ空いたから、お前投げろ」と私が指名されたのだ。