2005年から12年間をサンフレッチェで過ごし、数々のゴールとタイトル、あふれるクラブ愛でいまも多くの人々に愛されている佐藤寿人氏。共に紫のユニホームを着たチームメイトがピッチ上で見せた才能、意外な素顔などを連載『エースの証言』で振り返っていく。

サンフレッチェの左サイドで活躍した服部公太

【服部公太・前編】クロスを蹴り分ける日本代表レベルの選手

 公太さんと出会ったのは、僕がサンフレッチェに加入した2005年です。加入してすぐに「家に遊びに来なよ」と誘ってくれて、最初から家族ぐるみでかわいがってもらいました。

 4歳年上の公太さんは千葉県の渋谷幕張高校出身で、僕もジュニアユースからジェフ市原(現千葉)でプレーしていたし、同じ左利きでもあって、共通点がたくさんありました。当時は少し伸ばしていた髪型も似ていて、背番号も17番と11番なので、遠くから見ると分かりにくかったみたいです。僕の家族も最初の頃はスタジアムで試合を見ていて、間違えることがあったそうですから(笑)。

 チームメートになる前から、Jリーグでもトップクラスの左サイドだと思っていましたが、一緒にプレーするようになると、やっぱりうまいし、公太さんからのクロスがあれば、ゴールを決めるチャンスも増えると感じました。僕の加入1年目はブラジル国籍の長身FWガウボンとの2トップで、ゴール前にいる選手によってクロスの球種やスピード、入れる空間を蹴り分ける公太さんは間違いなく、日本代表レベルの選手でした。

 イメージをすり合わせるために、たくさん話をしました。週の初めに次の対戦相手の特徴を踏まえて「こういうポイントに入っていきたいので、こんなクロスを蹴ってほしいんですけど」と伝えると、「分かった」とすぐに練習でトライしてくれる。ストライカーのわがままを、全て受け止めてくれました。

 公太さんからの初アシストは2005年のJ1第21節・川崎F戦で、“右足”でのクロスでした。印象深いのは第33節の神戸戦。2-2で迎えた89分に公太さんのクロスをヘッドで合わせて、僕はハットトリックを達成。チームは3-2で勝利という、ストライカーとして最高の締めくくり方ができた試合です。

 僕がヘッドで決めたゴールは、イメージ通りに合わせたものがほとんどですが、あのゴールはどうやって決めたのか説明できません。高さもスピードもあるクロスで、僕が合わせたというよりは、公太さんに合わせてもらった感じ。競り勝ったDFはヘッドが強い北本久仁衛選手でしたから、ほんの少しでもクロスがずれていたら決まらなかったでしょう。

 試合後にファン・サポーターのみなさんにあいさつに行ったら、初めて『君の瞳に恋してる』のチャントを歌ってもらいました。それまでは名前を呼んでもらうだけで、オリジナルのチャントがないことが気になっていたので、いろいろな意味で記憶に残るゴールとなりました。(後編に続く)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

◆服部公太(はっとり こうた)
1977年11月22日生、千葉県出身
ポジション・MF、サンフレッチェ広島/1996年〜2011年
加入当初は攻撃的MFだったが左サイドにコンバートされ、3年目から主力として活躍。2002年途中から2007年途中までJリーグ171試合連続フルタイム出場、2008年途中まで218試合連続出場の記録を残している。2012年にファジアーノ岡山に完全移籍し、同年限りで現役を引退した。

◆佐藤寿人(さとう ひさと)
1982年3月12日生、埼玉県出身。2005年にサンフレッチェに移籍。3度のリーグ優勝に貢献し2012年にはMVPと得点王を獲得。2020年限りで現役引退。通算のJ1得点数は歴代2位。引退後は指導者・解説者として活動中。